衛生ゴアグラインド

本、人形、素体

不全骨折日記 10/28〜31

不全骨折(ヒビ)を患ったので、覚書として日記です。

 

10月28日(金)

帰り道、小さな段差で転んだ。グキッと音はした気がするし、痛い。

転んだ場所がまさかの遠出の先で、周辺に病院も整骨院もない右も左もみんな埼玉、厳密には東は茨城県古河市と隣接している埼玉である。

足を引きずり、バスでJRの駅に向かうも、駅前の売店よりも電車に転がり込んだほうが早いので、とにかく電車に乗った。

友達に連絡したら、とにかく冷やせとのことなので、乗り換えの駅で催事の保冷剤目当てで甘味を買い、保冷剤を履いていた足袋に突っ込む。

バスに乗ったら終バスで目的地にたどり着けず、結局歩く羽目になり、「オレハフジミノスギモトダー」と唱えながらなんとか帰宅した。足を高くして寝る。捻挫であって欲しい、起きたらまた歩けるようになっていると思いながら。

 

10月29日(土)

目が覚めても相変わらず歩きにくく、足は痛い。

近所の整形外科はGoogle Mapですべて低評価で全滅の有様なので、朝イチでバスと徒歩を駆使して歩かずに住む範囲にある治療院に転がり込んだら、予約制とのことで診られるのは午後と説明される。仕方がなく別の治療院に足を引きずって行く。

こちらではすぐに診てもらえて、痛いところを確認され、足を固定される。「骨が折れているかもしれないので、病院を紹介します」と云われ、紹介状を持って病院へ。紹介してもらった病院は家の近所で何度も前を通ったはずなのだが、まったく覚えていなかった。ひっそりとしており、Google Mapにも上手く出なかったので、こんなところに病院があったのだなと思う。

レントゲン結果はヒビが入っているとのこと。全治する期間は特に云われず。月曜になったら治療院に写真を渡すことになった。

一度帰宅し、履物は鼻緒があるものにしようと思い、古いタビックス(足袋型の靴下)の上部を切り取りギプス用の靴下とした。バスと電車を駆使して上野へ。友達と東京国立博物館の国宝展を観る。下調べをしてくれていた友達と、会場のご厚意により、車椅子を出してもらい友達に押してもらう。

秋のよく晴れた空の下を車椅子を押してもらうと、なんだか理想の老後のように思えてくる。

車椅子で観る仏様の掛け軸はとてもありがたいものに見え、麒麟の剥製は大迫力だった。大人気の展示なので人だかりになっており、友人も飽きさせぬよう常に解説を加える気遣いを見せてくれたので、いつもとは違う楽しさがそこにはあった。

そして、今後、車椅子の方には自分のできる範囲で気遣えるようになりたいと思った。

 

10月30日(日)

相変わらず歩きにくいが、かかとと無事な部分を使って歩くことを覚えた。

昼頃に会う約束をしていた方に会う。趣味のポジディブな話が出来て楽しかったので、新しく人と会い話す喜びがあった。

骨折はできることが固定、安静、足を高くするぐらいしかなく、家にいると鬱々としそうなので、土日はバスと電車を駆使してできるだけ歩かずに外出を試みたため、精神はすこぶる好調、この調子で骨折も治ってほしい。食べすぎには気をつけるから。

 

10月31日(月)

歩くと足が痛むのは相変わらず。立ち上がるときが痛い。

生活のための労働の前に治療院にレントゲン写真を渡し、包帯を変えてもらう。次回の予約をとる。

骨折して良いことなどないが、それでもなにかあるとすれば長年患っている希死念慮がかなり薄くなっていることである。

カフカ結核になったら逆に生き生きしだした話があるが、こちらは「もう健康に気をつかわなくていいんだ、ヒャッハー!」みたいな開き直りだったかもしれない。

私の方はというとだだ下がりするQOLと歩けない不自由さへの怒りと「治ったら絶対に遠出してやるからな!」という私の中での珍しい前向きさである。

「前を向いて明るい方向に向かうとき、後ろにある黒い影の方が気になるの。その黒い影を見ていると、前向きなものが疑わしくてね…」とは我が母の言葉。娘にいう言葉がそれかよ、と思えども、だいたいそんな生き方しかできなかった。

 

ひとまず、しばらくは歩いて足が痛むときは「オレハフジミノスギモトダー」と唱えて暮らす。