衛生ゴアグラインド

本、人形、素体

読書と言葉と私とこの世

ちょっと放置気味なのはあんまり本が読み進まないから。

 

先日読んだ春日武彦『臨床の詩学』がじわじわ来ていて、自分が少し野暮ったかったり泥臭いものが好きな理由がわかった気になった。

言葉が、文章が自分から近い(定着している?)ということが、私の中で重要視される部分が大きくて、それは説得力とも似ている気がした。

自分じゃ無くても、文章を書く人もかな。

綺麗なものを書こうと頑張った形跡があるのに、空虚であり響かないことなどいくらでもある。これは作者の中に綺麗さがないのではないだろうか…というのは言い過ぎかしら。

本文中でも顔色が悪い仲間に対して「墓場から出てきた這い出してきてみたいだ」と云っている奴がいて著者は「本当に墓場から這い出てきた人間を見てから言え!」と無性に腹がたったとあるけど、そういうことなのである。

 

野暮ったさ泥臭さは人間臭さと言い換えることも出来るかもしれない。

人付き合いは得意ではないけれども、人とのかかわりの中で小さく社会と繋がったときや小さく世間が生まれたときの喜びと云うのは野暮ったく泥臭いものだと私は思っているから。

 

臨床の詩学

臨床の詩学

 

 

 

互いに人間『臨床の詩学』

好きな作家の本を読む幸せ。

臨床の詩学

臨床の詩学

 

読了。

精神科医の著者による臨床での言葉のこと。著者:春日武彦の言葉への拘りと医者としての患者さんとのコミュニケーションについてでもあるかな。

気取った言葉を使うことや語彙力と呼ばれるものより、タイミングや誰が云うかである部分も大きいよな…となるなど。誰しもを救う万能な言葉はないけれども、文学においてなんとなく安心する話や言葉を見つけることは稀にあるので、言葉を読むことは辞められない。

 

後半の辺境の作法と題された章は医療従事者向けの媒体で発表されたものをまとめているのだけど、境界性パーソナリティ障害については「病人だから仕方ない」とは思えない…という小見出しをつけている。医者ですらそう思うなら一般人は尚更だよな…という気持ちになるエピソードが出てくる。

他にもパーソナリティ障害は何らかの制限が出ることでその症状が軽くなることがあるとのこと。本では体が不自由になり体力が衰えたことによる例があり、時間の経過が大切な様子。たまたま行きつけで「(そんなに今がだめなら)一度事故に遭えばいい」ということを云う方がいたのだけど、その説は案外間違っていなかったのは?という気持ちになる。

また、境界性パーソナリティ障害の人と関わって厭な思いをしたというのは周囲に理解を得られない事が多いとあった。私も元職場でケーキが等分に切ることが出来なさそうな人の言動が耐え難かったので上司に相談したら「診断はされていないけど、ある種の病気をお持ちの方だから」と取り合って貰えなかったのを思い出すなどした。ひでぇな。やっぱり通じてなかったのかよ。

 

私の話はさておき、この本、著者の本音がダダ漏れで面白い。

「黙れ!といって汚い靴下を口に突っ込みたくなる」「何がプライドが傷付いた、だよ。うるさいんだよ」と患者さんに対して思ったこと等がキレッキレで書かれている。思わず笑ったのは「性器を露出させると罪になるけど、内臓を剥き出しにしても(たぶん)罪にならないのは何故だろう」(どっちもショッキングなのに)という一文。内臓は…それは事件性がありそうですね…。

いたのかよ…ワタシみたいな変態が『絢爛たる屍』

期待していた本が期待に応えてくれると嬉しいですねぇ。

絢爛たる屍 (文春文庫)

絢爛たる屍 (文春文庫)

 

読了。

英国の快楽殺人鬼×米国の快楽殺人鬼。出会ってはいけない二人が出会ってしまったら…という小説。

出会うまでにすこし時間を要するけれども、血と内臓と精液が適度な間隔で流れるので飽きさせない。血を出したらモツも出さないとね!殺すので派手にしときました!というグロ描写も容赦ない。こういうのをサービス精神旺盛と云うのだ…という気持ち。

実のところ、アメリカのシリアルキラーマニアでゴスの腐女子である作者によるによるデニス・ニルセン×ジェフリー・ダーマーのBL同人誌と云えば話が早い。

死体と暮らす一人の男:ニルセン、アメリカの死体マニアの吸血鬼:ダーマー…どっちも死体大好きだし、同性愛者だし…妄想爆発させて絡ませてみた結果がこちら!という具合。

 

デニス・ニルセンをモデルにしたアンドリュー・コンプトン、ジェフリー・ダーマーをモデルにしたジェイ・バーン…性格は少し混ぜたり変えたりしているようだけれども、実際の事件で出てきたエピソードを元にしているんだろうな…という点がいくつもあって、ふふっとなる。

お互いに惹かれあうも死体が好きなので、互いが生きていることにドギマギしたり、カニバリズムをしないアンドリューが「どうして肉まで食べなければならないんだ?」と云うのに対して「一度も味わったことがないの?」と返したり、この2人のやり取りが絶妙。なんで食べるの?VSなんで食べないの?

最後にアンドリューが食べる肉や死体のことを思うと生きている人間を愛せなかった殺人鬼の恋愛譚である要素も十分にあって、グロいのとか好きですけど、それだけで喜べる年頃じゃない私を大変満足させてくれました。

この本、なかなか手に入らなくて、読むのをずっと後回しにしていたので、期待に応えてくれると嬉しいね。

 

ついシリアルキラー側について書いてしまいましたが、もう1組ゲイの元カップルがでてきて、その片割れがキーになっているのですが…すぐに死んでしまう医者の持ち物の中にシリアルキラーに関するペーパーバッグがあることもあり「シリアルキラーとかすでしょ?」と問いかけられている気持ちになる。…ええ、まぁ…あなたほど詳しくはないですけど。

 

二人の事がなんとなくわかる本

死体と暮らすひとりの部屋―ある連続殺人者の深層

死体と暮らすひとりの部屋―ある連続殺人者の深層

 

デニス・ニルセン。寂しがり屋で自己愛の人で死体愛好癖、複雑な性的嗜好で折り合いをつけられず犯罪に走ってしまったという印象。

死体処理法が雑でびっくりした。燃やすときにゴムと一緒に燃やすことをした以外は、隠し方や処理が雑でよく長年捕まらなかったなぁ…。

 

息子ジェフリー・ダーマーとの日々

息子ジェフリー・ダーマーとの日々

 

カニバリズム猟奇殺人でお馴染みジェフリー・ダーマーの父による手記。

ダーマー親子はそれぞれちょっとした、そしてあまり特別ではない先天的な疾患がある気がする。それを生きているうちにどう折り合いをつけたかが違うだけなのかもしれない。

 

…2つとも折り合いをつけるという言葉を使ってしまったけれども、この2人、人と繋がる方法が殺人なので、殺人は避ける選択をしなければならなかったのは、折り合いでいいかと…。

見つけて頂き、光栄です。

週刊はてなブログで、私のブログがちらっと取り上げられました!

blog.hatenablog.com

本への愛がすごい人のブログ特集だそうです。こういう形で自分のブログが紹介されたことがないので、嬉しいですね!

 

それにしても「衛生ゴアグラインド」ってタイトル、読書ブログっぽさもなく、人形ブログっぽさもないのは、私らしくていいですね。

残酷さを出した騒がしい音楽ゴアグラインドに衛生とつけただけですし、本当にこのタイトルしか思いつかなかったので付けたのですが…綺麗なものも好きだけどグチャグチャドロドロしたものが捨てきれない私にぴったりかと思います。

 

これからも楽しい本に出会ったら記事を書いていきますので、お付き合いいただけますと幸いです。

反抗して生きて帰って『不死身の特攻兵』

生きていると気になる本が増えますね。

読了。

9回出撃して9回生きて帰ってきた特攻兵:佐々木友次氏のこと。

存命中のインタビューの前に戦中の話になるので、テレビでよくある「この後、御本人のご登場です!」形式でわかりやすいです。

体当たりよりも何度でも攻撃する方が攻撃として効果はあるのだけど、上のものはわからんのです…。佐々木氏は戻ってくる度に「次は死んでこい」って云われてて、それ攻撃よりも若い命散らすのが目的になっているじゃん…となります。

後半は特攻について、そして命令する側、される側について分けて考える話が出てきます。

「特攻はムダ死だったのか?」という問いをたてることそのものが、亡くなった人への冒涜だと思っています。死は厳粛なものであり、ムダかムダでないかという「効率性」で考えるものではないと考えるからです。

 総ての死は痛ましいものであり、私達が忘れてはならないものだと思います。特攻隊で死んでいった人達を、日本人として忘れず、深く記憶して、冥福を祈り続けるべきだと思っています。

 この言葉に続くのは「けれども命令した側の問題点を追及するのは別」と続きます。要は上司は責任とれよ!考えろよ!という話であって、部下は悪くないよ、命令した上司が悪いんだよという事につながります。

夏の高校野球と繋げる話もありました。特に毎年夏は酷く暑くて熱中症でお亡くなりになる方も多いので「あの暑い中で野球って、日本のオッサン、特攻といい若い命散らすのが好きすぎるでしょ…」と思っていたのですが、同じような話が本の中に出てきてやっぱり…となりました。本当にダメだよ、高校生に無理強いさせては…。

 

話が不死身の特攻兵から離れたので、戻します。

佐々木氏は自分の事を大事にして欲しくないと仰っていましたが、著者としては命令を無視して自分の考えを貫いた特攻兵である佐々木氏の存在が著者と日本人の希望と読者の希望になるんじゃないかと思ってこの本を書いたことをあとがきで記しています。

空を飛ぶことが好きで自分と信頼できる仲間を信じて上官に反抗した特攻兵がいた…そこから「もう少し希望を持って生きてもいいかな」という気持ちになれそうな気がします。

私は醜いけどアンタは綺麗『ぽろぽろドール』

人形が出てくる非ホラーの本を発見したので読みました。

ぽろぽろドール (幻冬舎文庫)

ぽろぽろドール (幻冬舎文庫)

 

読了。

人形に纏わる短編集。表題作は平手打ちすると涙を流すギミックがある人形とその所有者である少女の話。この人形をぶっている今よりも後にどうなったかが気になるし、何、彼氏も出来て幸せになってんの?ねぇ!ってなった。

作者の中では人形の話は容姿の話(容姿の優劣の話)と後書きで書いているけど、自分の容姿が嫌いな人と人形という構図の話が印象に残った。

具体的には容姿がいまいちな女子高生が人形を愛でる「手のひらの中のやわらかな星」、男子大学生が人形を購入する「僕が人形と眠るまで」の2つ。

「手のひらの中の~」は容姿がいまいちなばっかりにヒエラルキーが低い女子が人形にクラスで一番人気の美少女の名前を付けて愛でる話で、何をしても美少女には認めて貰えない、高校生独特の心痛む話。容姿がいまいち村の住人だったので、わかる…となったよ…。

「僕が人形と~」は美しかった世界を人形によって取り戻す話なので、ちょっとポジティブではある。 人形と容姿…好きな容姿の人形を愛でて暮らしたいと思ったのは、やっぱり自分の容姿が嫌いだったのも要素の一つなのよね。

あと「めざめる五月」で人形と陰毛の話が出て来て、フフッとなった。私が陰毛は無駄毛と思っているのも多分人形好きから…。

 

小鳥、京都に行く

先週は中川多理さんの個展を観に京都に行ってきました。

お供は人形のレッタです。

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京都タワー!」

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京都タワー!!」

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京都タワー!!!」

…なんとなく興奮が伝わるといいな…と思います。

 

京都は夜行バス→京都タワーの銭湯「YUU」…というルートで行きました。

夜行バスは時間が有効活用できますが、やっぱり体が疲れるので銭湯で体を癒して、更に100円のマッサージマシーンを使うのをセットにしています。

 

京都ではモーニングを食べたり、バスで観光地から少し外れた場所にある着物屋さんに行ったり、気になっていた喫茶店に行ったりしていました。

バスで京都駅まで戻って、パートナーからのリクエスト「阿闍梨餅」も確保し、いい感じに時間をつぶして、春秋山荘へGO!

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春秋山荘に舞い降りるレッタ。

ところ変われば展示方法や見え方も変わるので、東京の展示を思い返してみたり。

新作:赤髭公の新妻の顔立ちを観て、「今後も私は中川多理さんが作るお人形が好きなんだろうなぁ…」という気持ちになりました。

りーぬを身請けする前、名古屋まで中川多理さんの展示を観に行って「そう遠くないうちに私がより好きなお人形がやってくるかな?」と思った時と似たような気持ち…もしかしたら、また私好みの人形を身請けする未来もあるのかもしれないですね。

 

ひとしきり展示を楽しんだのちは京都駅に戻って、駅のカフェでスマホを充電、別の気になっていた喫茶店で一休み…と、人形+喫茶店巡りの京都でした。

関東育ちなこともあり、京都はアウェイの土地なのですが、今回はやっと自分の好き勝手に動けたかなぁ…なんて思いました。たぶん、また行くと思いますが、次回はさらに上手く立ち回れるといいなぁ…、