衛生ゴアグラインド

本、人形、素体

読書と言葉と私とこの世

ちょっと放置気味なのはあんまり本が読み進まないから。

 

先日読んだ春日武彦『臨床の詩学』がじわじわ来ていて、自分が少し野暮ったかったり泥臭いものが好きな理由がわかった気になった。

言葉が、文章が自分から近い(定着している?)ということが、私の中で重要視される部分が大きくて、それは説得力とも似ている気がした。

自分じゃ無くても、文章を書く人もかな。

綺麗なものを書こうと頑張った形跡があるのに、空虚であり響かないことなどいくらでもある。これは作者の中に綺麗さがないのではないだろうか…というのは言い過ぎかしら。

本文中でも顔色が悪い仲間に対して「墓場から出てきた這い出してきてみたいだ」と云っている奴がいて著者は「本当に墓場から這い出てきた人間を見てから言え!」と無性に腹がたったとあるけど、そういうことなのである。

 

野暮ったさ泥臭さは人間臭さと言い換えることも出来るかもしれない。

人付き合いは得意ではないけれども、人とのかかわりの中で小さく社会と繋がったときや小さく世間が生まれたときの喜びと云うのは野暮ったく泥臭いものだと私は思っているから。

 

臨床の詩学

臨床の詩学