衛生ゴアグラインド

本、人形、素体

少しでも良い未来を迎えるために『どんとこい、貧困!』

貧困は自分自身に関わる問題と思っている。

どんとこい、貧困! (よりみちパン!セ)

どんとこい、貧困! (よりみちパン!セ)

 

読了。 

子供向けに書かれた日本の貧困問題について。もちろん、大人が読んでも知ることばかり。

元が10年前の本で、具体的な策はあまりかかれていなのですが、語り口が自己責任論に疲れた身には優しい。特に前半は自己責任論がなぜダメかに答えていくような形で進んでいくので、心無い自己責任論で傷つかなくてもいいのかな…という気持ちになる。

個人の選択肢の多さや条件を「溜め」と表現し、努力の差ではなく溜めの大きさが格差につながるとしている。貧困に陥る人は溜めが少ない。

そして、その溜めを大きくする工夫が社会にあるのが大切というのが著者の考え方。

 

他の貧困に関する書籍も読んでいるので「貧困に関わることはきれいごとではないと思う…」となるも、ちゃんと困った人(お金を渡しても適切に使えない人、コミュニケーションが不適切ゆえに避けられる人など)についても少し触れているのでバランスをしっかり考えて書かれている気がする。

また、活動家についても客観的に見た話もよく理解しているようで、そこを乗り越えて伝えたいことがあるからか、わかりやすいしパワフル。

重い話が多いのですが、100%ORANGによる可愛い挿絵とわかりやすい説明で理解が深まる本なので、これは良い読書でした。

 

巻末の対談で女性の貧困についてはこの本の時点では見えにくいとされているので、貧困女子という考え方はこの後に出たものなのですね。

と、いうことは女性の貧困がわかりやすくなってはきているのかな…女子に限らず貧困に関しての社会の工夫や対策は早急にお願いしたいものです。

 

トラウマ映画の話とかしようぜ!『サイコパスの手帖』

期待していた本が期待通りに面白いと嬉しいね。

サイコパスの手帖

サイコパスの手帖

 

読了。

精神科医春日武彦と小説家の平山夢明が映画を中心にサイコパスについて語る本。

悪魔のいけにえ』『羊たちの沈黙』『何がジェーンに起こったか?』色々語ります!個人の思い入れももちろん語るので「低評価だけどこれが好き」なんて細かい話も嬉しい。

そして映画『シャイニング』の新たな解釈の話が面白い。そう読み解けるよね!でもなんでもかんでもそれにつなげられるとはいえ面白いね!みたいな。

現実の事件の話もあるのですが、シリーズ前作『サイコパス解剖学』で急遽付言した座間の事件は我が家にテレビがないせいか「こんな事件あったね…え?そんなに酷いの!?」と麻痺した感想を持った。

あんまり残酷な事件について昔ほど調べなくなっただけかもしれないけど、文章を読んでいるとその後あまり報道されなかった様子。

 

平山夢明読書メーターで自書の感想を観ているとあり、読書メーターで感想を書こうか迷う。登録しているけど、感想はほぼ書かないんだよね…。

春日武彦が神戸連続児童殺傷事件についてコメントを求められて「レアケース」と答えたら周囲が黙っちゃったなど春日武彦の仕事の話も多々ある。

そんな両人のいいとこ取りの不謹慎面白い本です。

それぞれに生きる世界がある『砂糖の空から落ちてきた少女』他

三部作全部読み終えたので。

砂糖の空から落ちてきた少女 (創元推理文庫)

砂糖の空から落ちてきた少女 (創元推理文庫)

 

読了。

シリーズ3作品目。1作目で亡くなった少女の娘が空から落ちてきて、亡くなった少女を蘇らせる旅に出る話。少年少女がそれぞれの特技を活かしたり、違いを疑問に思っても「それはおかしい」などとあまりいわない、個々の意志が尊重される変形優しい世界でした。

亡くなった少女が日本人(日系人?)で、娘もそっくりなのだけど両方とも「パンツ履いていないけど恥ずかしくないよ!」みたいな人物として書かれている。日本人だからなのか、彼女らのお菓子の国がそんなノリだからのか…どっちだろ?

お菓子の国の別の女の子は真面目なしっかりしたコだったので、やっぱりファンタスティック日本人属性かな?

 

不思議の国の少女たち (創元推理文庫)

不思議の国の少女たち (創元推理文庫)

 

シリーズ1作目。

居心地が良かったと思える異世界から現実世界に帰ってきた少女たちばかり集めた寄宿舎での出来事。独自の用語に馴染まぬうちに殺人が起こったり、校長から死体処理を命じられて死体にある処理を施すなどタイトルと裏腹にエグいことをしている。

翻訳の関係なのか、私がファンタジーの世界にそんなになじみがないのか、読みにくかったのですが、ほかにも同じ感想の人がいたのでそういうもののようです。

トランクの中に行った双子 (創元推理文庫)

トランクの中に行った双子 (創元推理文庫)

 

こちらがシリーズ2作目。

吸血鬼が統治する世界に入り込んだ双子の姉妹の話。前作で時系列は後にある『不思議の国の少女たち』が「てめぇ、どこ中だよ」のどこ中がやたら出て来てわかりにくかったので、1つの世界だけで話が進むことがあり話としてはこちらの方が纏まりが良い。吸血鬼に寵愛される妹に対し、マッドサイエンティストの助手で丁稚みたいな姉が恋人作ったり村人と交流を持ったりして毒親から独立したみたいになっているのに、妹がいらんことするから、もー!

 

ジャンルとしてはイギリスのヤングアダルト向けに相当するのですが、先にも書いた通り個々が尊重される変形優しい世界でした。

セクシャリティが多様化していて、同性の恋人がいたり、人間ではないものが好きだったり、それ以外にも誰かを不可解に思ってもそれぞれがなんとなく折り合いを付けていたり、多様性が許容される世界なので、読んでいて気分が良かったです。

3部作だったはずがあと2作品刊行されるようなので、そちらも楽しみ。翻訳されるかしら?

今日から5年目

りーぬと出会って4年経ちました。

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2019年5月撮影。

なかなか服を作ったりなんなりはご無沙汰ですが、ご無沙汰でも変わらずいてくれるのが人形の良いところ。

5年目もよろしくね、という気持ち。

獣っぽい衣装が好きなフレンズ『角笛の音の響くとき』

日本で翻訳されてる本は読み終えちゃった…。

 読了。

第二次大戦でドイツが勝った後の世界に迷い込んだイギリス人の話。

翻訳者のあとがきでは「人間精神の奥底にひそむ不可知の部分、ほんのちょっとしたきっかけで狂気の世界にのめりこんでいきかねない恐ろしさを書くことにあったと思います」とあるものの、『人形つくり』でこのサーバンがフェティッシュな趣味をお持ちの悩める変態だという事がわかっているので、やっぱり変態っぽさが光る部分が気になる。

今回の一押しは人間狩りのシーンでは男女敵味方問わずフェティッシュけものフレンズな衣装を着せられて狩りに参加するというもの。

フェティッシュけものフレンズたちについてはちょっと引用してみます。

まずは猟犬男。

彼らの頭にはアビシニアあたりで見かける犬に似た狒々の精巧なマスクがかぶせられ、唇は本物そっくりにめくれあがって大きな歯をむきだしにしていた。灰色と黄褐色のいりまじったつややか毛のマントが肩と背中を覆い、腰のあたりまで垂れ下がっている。それから下は手にある紐がつながれた幅の狭い腰のベルトを除けば完全に裸だった。

そして鳥女

人間にはちがいないが、とてつもなく異様な格好をしている。(中略)それはすらりと背が高く、脚の長い女で、顔は極彩色の鳥の面で隠されているにもかかわらず、長い黒髪がそこからこぼれ落ちて後ろになびいていた。彼女が空地に逃げこんでくるのを見ていると、まるで古代エジプトの鳥面の女神が突然永遠の眠りからさめて命がけで逃げ出したような唐突な感じを抱かせられた。光沢のある金と緋色の羽毛の肩当てが彼女の胸を覆い、両腕には栗色と真珠光を帯びた緑の翼がしばりつけられ、腰のうしろには長くそりかえった茶と金の尾羽がたれさがっていた。これらの羽根飾りと足の黄色い靴以外に、彼女は何一つ身に付けていなかった。

つづいて、猫女と云われる女たち。

チーターが後肢で走っているのだ、と一瞬ぼくは思った。(略)松明の光でなめらかに輝いている美しいまだらの毛皮は、実は帝国領内のすべての奴隷飼育場から念入りに運び出されたにちがいないと思われるほど、体つきといい年齢といい驚くほどよく似た一群の若い女たちの、背中と胸にかぶせられたものだった。

(略)成長の途中で悪魔的な技術と訓練によって、人間の女から、しなやかで身のこなしが軽く、危険きわまりない大猫に作り変えられた存在、それが彼女たちだった。

 猫女の描写は結構長いので、削って、削って冒頭だけ。他にも「ぴったりした毛皮の袖なしの上着が肩から、胸を肋骨の下あたりまで覆っている」「奇妙な鉤の形をした金属的な輝きをもつ手袋を両手にはめている」など細かいです。

 

他に森で出会った鳥女の仮面を外してやるシーンでは精巧な細工に感心したり、「ドイツ好みの完璧さ」と評したりしているので、この衣装が書きたかったのね、フェチフェチした衣装が好きなのか、へーと思えども、作者が真面目過ぎるのか変態の割には変態性が爆発することなく話は優等生なものの不完全燃焼だった。

もっと、がんばって!

ただ、この本はハヤカワSFシリーズとして発売され、サーバン自身はSFかというとフェティッシュな人なので幻想文学的なアプローチだったらよかったのでは?

とはいえ、悩める変態サーバンなので作品に関しての適材適所がつかめないままだったのかもしれません。

この作品が1960年代にイギリスで書かれたのに対し、同じイギリス人のイワン・ワトスンが日本のあれこれにインスピレーションを受けつつ書き上げた作品『オルガスマシン』(獣人女子が出てくる!)は1970年代なのを思うと…サーバン、生まれるのが早すぎたのと、行くところ(作品の発表の場や見に行く国)を間違えたのは…と思わずにはいられません。

 

もう少し対象読者に届きそうな形で発行された本はこちら

hikimusubi.hatenablog.com

 

人間と人形の事『人形メディア学講義』

人形について論じた本が楽しいと大当たり!って気持ちです。

人形メディア学講義

人形メディア学講義

 

読了。

人形と人形文化について。元は大学の講義。言葉が伝わってきやすい選び方をしていることや、人形と人間の関係性について詳しいので、好印象。最初の宣言「人間のあるところに人形あり、人形のあるところに人間あり」ってとてもいいね。

メディアという特性もあって、人との関わりが必須だから、人形を所有したときの体験談が多い。

受講者たちの話でリカちゃん人形の四肢を寸断してシルバニアファミリーの餌として捧げていた、リカちゃんをすてて代わりに石にリカと名付けたという子供の残虐性が発揮された話がさらっとある。

 

人形(愛)というと澁澤龍彦なのですが、澁澤に触れながらも重きを置きすぎていないのが好印象でした。

人形の話するときに毎回出てくるので、食傷気味というのもあるのですが、読者のわがままとしてもう一歩先に進みたい。「人形を愛する者と人形は同一なのであり、人形愛の愛情は自己愛だった」という澁澤について多少触れた章では映画『ラースと、その彼女』が取り上げられています。

内気な青年:ラースがビアンカと名付けたラブドールと暮らし、それでも周囲の人間に受け入れられていく作品なのですが、久しぶりに思い返してみると人形を介して人間になるような話だったなぁ…と思います(映画自体を観たのが随分前)。

ビアンカが受け入れられ、またラースも受け入れられる…最後に訪れるビアンカのことも「役割を終えたから」という形で結論がされています。

そして章の最後、受講者への注意喚起の言葉を引用。

 (略)人形との《愛》と呼びえるような関係性について考えるヒントを大衆的な作品や文化事象に求める。だがそこで得た知見によって、エロティックで魔術的な対象としてラブドール等をとらえ接している人たちによき理解者を装い結果的に《暴力》をふるってしまうことがあってはならないのだと。

 もちろん展覧会に出向き、現代風俗文化のひとつとして精巧にできた人形たちを消費することに罪はない。だがその一方でそれらが有してきた/いる、いかがわしさや後ろ暗さのようなことをなかったことにすべきではない。読者の皆様にも《愛》とはそれほどにややこしく、それゆえに魅力的なのだということをくれぐれもお伝えしておきたい。

 菊地浩平『人形メディア学講義』河出書房新社 2018

 ここで出てくる多様性に通じる言葉。人形と暮らす私にもしっかり届いております。

 

関連

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サイコパスの話しようぜ!~サイコパスを知れるかもしれない本4選

フェイシャルエステとヘッドスパをされながら、サイコパスについて知るにはどの本がいいかという話をしたのでその時に上げた本の話。

サイコパス解剖学

サイコパス解剖学

 

春日武彦平山夢明サイコパスについてだべっている不謹慎面白い本。

 

恐怖の構造 (幻冬舎新書)

恐怖の構造 (幻冬舎新書)

 

サイコパスと変態の違いについて詳しい。創作論でもある。

 

自虐指向と破滅願望 不幸になりたがる人たち (文春新書)

自虐指向と破滅願望 不幸になりたがる人たち (文春新書)

 

→熊に食べられる自殺の話がつかみはOKだけど、ネクロフィリアじゃないけど死体と暮らす話があるので紹介しました。

 

あとは『狂いの構造』があればよかったかな。

 

「狂い」の構造 (扶桑社新書)

「狂い」の構造 (扶桑社新書)

 

要約すれば「面倒くさいは狂人の始まり」。サイコパスキチガイの話が多い。

すごく真面目にこれはこういうものです!って云われるよりは斜に構えて楽しんでいる方がいいって方にはだいたい春日武彦平山夢明を薦めるのですが、弊害があるとしたら、真面目に格好良く書いた犯罪小説本に対して「そんな奴おらへんやろ」というツッコミをしてしまう可能性ですかね。

 

 

詳しい感想

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