久々に掘り出し物を見つけた感。こういう時にいい仕事していますね…と勝手に鑑定団になってします。
読了。
外国人の子供の家庭教師を務めることになった女学生の不思議な手記と顚末「リングストーン」、女学生と木彫りで人形を作る青年の物語「人形つくり」を収録。
「リングストーン」では終盤に体操着の女子へのフェティシズムが、「人形つくり」では服従のマゾヒズムがあふれていて、サーバンの変態性がしっかり出ていてかつ作風は丁寧で品がある。
ちなみにサーバンはイギリス人で本職は外交官、出身は炭鉱町で労働者階級。変態性あふれる作品を少数だけ残した作家だそうで「イギリスの団鬼六というわけではない」「拘束具が好き」…というのは国書刊行会の冊子からの情報。
本に収録されている解説によると数少ない邦訳『角笛の音の響くとき』では全裸に羽や毛皮を纏った女性を狩るシーンがあり、「わたしが女性に求める種類の歓びは実行が不可能」という言葉を日記に残していたり、木製の関節付きの人形を自ら制作するなどかなりの変態のご様子。…悩む前にフィティッシュバーとか来ればよかったのにね(たぶん、当時はなかったのでは…)。
少し作者の話が長くなりましたが、今回「人形つくり」に関しては私は人形になりたい系のM女ではないので、ハマらなかったものの、好感が持てる作品ではあった。
下記はネタバレ含む感想。
【ネタバレ】
「人形つくり」は人間の少女の魂?を作った人形に封じ込めて永遠に人形として服従させるというもの。
主人公である女学生:クレアは青年:ニールに抵抗して人形ではなく人間であることを選ぶ。
どの生徒からも可哀そうな人だと思われている歳を取った教師ミス・ギアリーが物語終盤にクレアにこんなことを話す。
「よく私たち(青年の母と年を取った教師)が議論したのは倫理的な問題で―永遠に美しいものをつくりだすことは最高の善であり、どんな手段でも正当化できるのだろうということだった。
どんな手段でも正当化できるのだろうかということだった、どんな手段でもというのには、もちろん、生命を利用したり、歪めたり、破壊したり破壊したりも含めるのよ。でも生命の法則を無視して、永遠に美もありえるかしら」
「フキタンポポから政府に閣僚にいたるまで、わたしたちすべての本性の総体が均整の取れた美しい計画をなしているのよ。たしかに移ろいやすいものではあるけれど、まさに移り変わることによって不死を実現している。もしだれかが時と変化にあらがってみずからの本性を欺こうとしたなら、パターンが損なわれることになる。わたしたちは生命に義務を負っているのよ」
「レイチェル(*青年の母)は間違っていたけれど、なんとしてでも自分の考えを弁護しようとした。当時よく、息子が欲しいと言っていたわ。そして彼女の言う美の倫理だけに従うように育てるのだと。それは実現したのかしらね」
サーバン『人形つくり』国書刊行会 2016年
歳をとったギアリーが語ることに意味があると思った言葉だった。
私は人形に関して「人間と同じ姿を持ちながらも人間と違う時間軸を生きている存在」という認識を持っている。
そのため、人間を人形にする、人形を人間にするというのは私はあまり好まない。
「人形つくり」の中でニールが人形の素材に木を選んだのは自然の素材で長持ちするからというものだったので、キャストは黄変(変色)するからという理由で黄変しないモデリングキャスト(液体粘土。旧イージースリップ)の人形を選んだ私としては、そのこだわりはわからなくもない。
そんなめんどうくさい好みが難しい私にも上手く落としどころを持って来てくれた。
クレアは人形にはなることを拒む。
最後にギアリーが「夏にあなたが十九になるのが嬉しいわ、クレア」と声をかけて話は終わるのですが、このセリフがなかったら、私はこの小説を好きにならなかったと思う。