衛生ゴアグラインド

本、人形、素体

貧困からの脱出『メイドの手帖』

私が薄給OLだった頃、日比谷線がウーマノミクスキャンペーンで昔のアニメ(アタックNo.1)のキャラクターのラッピングカーを走らせて「働く女性にメッセージを!」ってやっていた。…ものすごく厭だった。

稼げない自分の惨めさをひしひしと感じ、その電車に乗るたびに「生活のために働いているし、同情するなら金をくれ!」という気持ちにしかならなかった。

広告だから仕方がないとはいえ、働いている女性の全てが夢を叶えて自分の意志で素敵な仕事を選んでいて、メッセージもらったら喜ぶだろうみたいなそんなのが厭だったし、私みたいな薄給の生活者はいない事になっているんでしょうね。

 

そんな事を思い出したのは、この本を読んだから。

読了。

シングルマザーで貧困に陥った女性の手記。メイドと書いているけど、ダウントンアビー的なクラシカルな話でもなければ、一昔前の秋葉原によくいたあれでもない。

低賃金の清掃業に就いた話である。

貧困っていうのは一度ハマったらなかなか抜け出せない構造を改めて思い知る。

そして人間扱いされない。生活保護やそれに準ずる制度の利用は白い目でみられるようで、貧困への偏見は日本とあまり違いはないな…となるなどした。

 

本文がちょっと単調になったり考察があまりない私小説なので、解説で掃除への文化の違いが見られたのが興味深かった。

日本人女性が自宅のトイレを掃除していたら、娘の同級生に「あなたの家は貧乏なの?」って聞かれるのは、文化の違いだなぁ…。
アメリカのある程度の収入がある家では掃除はお金を払って人に任せるのは主流なんですって。

 

掃除とはやや趣が違うけど、ときめく片付けのあれは、アメリカでの本当のところはどうなんだろ…この本でわかった貧困ではない白人の「アテクシ、貴族ですから、自分で掃除なんてしませんし、子供にもさせませんの!」という差別的な感情を思うと、物凄く差別的な何かを満たす何かなのでは…と心配になる。

 

結局、貧困から抜け出すのに副業を始める、学ぶ(描写は少ないものの著者は単位を取得するのに勉強していた)なのだけど、再現性はそれほど高くないきがするので、やっぱり貧困問題は自分が陥るかもしれないと思った上で考えていきたいところ。

自己責任云々と片づけるよりは、先日の『ホームレス消滅』と同じく真面目に、そして寛容に考え、少しずつやり直しが効く社会の構造を目指すのが良いんじゃなかろうか。

…まずできることは人の過去と現在の状態を責めたりしないことでしょうか。