人形は人間を映す存在でもある『青い目の人形と近代日本』

つい語りたくなる本に出会うことができるのは読書の楽しみであると思っている。

青い目の人形と近代日本―渋沢栄一とL.ギューリックの夢の行方

青い目の人形と近代日本―渋沢栄一とL.ギューリックの夢の行方

 

読了。

久しぶりに読みごたえがあって、色々思うところがったので、少し長めに参ります。

 

 

 

 

大まかな感想

アメリカから送られた友情人形(通称:青い目の人形)とそのお礼に送られた日本人形(答礼人形)と当時の反応など。序盤が移民法アメリカと日本の事なので人形が出てくるまで時間がかかりましたが、近代史及び日本における近代人形史を読むことが出来る本でした。

外地での戦略など戦前の日本の姿もあり、そして丁寧に記述されています。日本独自の文化を人形文化のない当時の植民地へ持っていくのは押し付けだったのでは?という話もありますが、人形が呪術的な要素を持つために日本と同じような人形文化のない国が今、キャストドールなどを作っているのは少し不思議な気がしますが、その辺はテーマからずれるとの著者の専門外なのでありませんでした。

さて、友情人形は個人間の国際交流のはずが、日本側が国家的なものと取り違え、すれ違い、落胆し、最終的には両国とも処分されてしまった人形もあり、交流自体は失敗だといわれていますが、著者が文化交流について考える契機として位置付けているので希望のある結びになっています。

 

友情人形について

青い目の人形…友情人形はセルロイド製じゃなくてパルプやおが屑なんかをまぜて作ったコンポジションドールという記述に野口雨情の「青い目の人形」のインパクトは強いんだな…と思うなど。

「青い目の人形と云われた友情人形はセルロイド製じゃない」というウケが悪いトリビアができますね。もうあるのかな。野口雨情の青い目の人形はあれ、キューピーちゃんだそうです。

それはともかく、友情人形はアメリカの子供たちがお金を出し合って裸の状態の大量生産のお人形を買ってきて、洋服を作ったり、パスポートを作ってあげたりしたものだそうで、微笑ましくなりました。あと、写真で見るとなかなかキュートです。

そんなキュートな彼女らは日本に迎え入れられて式典なども用意された大フィーバーだったそうで、今では考えられない熱狂っぷりでした。

 

日本と人形

青い目のお礼に日本人形を送ろう!そんな答礼人形を作ることが日本人形の技術革新になり、美術品として扱われる契機になり、国内でも美術の一分野に創作人形が認められるようになったなど興味深い記述がありました。

こちらは引用しますね。

 

(略)日本降雨の文化の伝達という役割を、日本人形が担うことになると、対外的にも日本人形の芸術上の権威づけが必要となる。同年帝国美術院美術展(帝展)第四部(美術工芸)が設置されたことも手伝って、それまで職人の地位に甘んじていた人形制作者を刺激し、昭和11(1936)年「挙国一致の指導機関」をめざす帝展改組第一回展で、人形は初めて入選を果たし、創作人形が芸術の一分野として国家的に認められるなど世界的にも類例のない地位を獲得するまでになるのである。

 そして、人形芸術確率の機運を高め人形の社会的イメージの向上と注目に寄与したのが、昭和初期に盛んに誕生する海外への人形使節であった。1930年代に、日本では日米交流の影響を受けた「人形」や「子供」を利用した、国際文化交流が生まれるのである。

(是澤博昭『青い目の人形と近代日本』世織書房 2010)

 

今も人形、特に動かせるものは工芸に入ってしまい、美術的な地位は高くないというお話を人形作家さんから聞いたこともありますが、少なくとも人形というのが重要な意味を持った時代の話を知ると同時に今に続くお話でもある気がします(主に日本人形ではありますが)。

他にも、ひな祭りのひな人形が天皇制と絡めて語られるようになったのはこの頃だったという話もあり、それまでは自由度が高いものだったそうです。

 

答礼人形にそれぞれ地名に因んだ名前があったのですが、私の出身地:茨城の人形は「筑波かすみ」という名前でした。『青い目の人形と近代日本』では名前は一部しか出ていないのだけど、ウィキペディアには判明した分は載っています。岡山の人形が「岡山桃子」なのは人名っぽいし可愛い。ちなみに日本代表は「倭日出子」(やまとひでこ)で命名は渋沢栄一。 そもそも青い目の人形についての本を読もうかな?と思ったのが、先日の渋沢資料館へ行ったことがきっかけでもあります。

 

 

当時の反応について

フィーバーする一方、大連にいる日本人たちの間で青い目の人形について新聞の紙面上で議論された様子があり、引用が本に載っています。

叩く者、叩く者、かばう者、かばう者を叩く者…そんな様子が某知恵袋や発言某みたいで、日本人、変わらないな…と思うなどしました。

また人形交流のきっかけになった移民法の説明部分では「低賃金でよく働く」という人種であることが当時のアメリカにとって驚異だったとのことなのですが、その頃から低賃金でよく働いていたのかよ!もう、いい加減にしようよ!という気持ちになりました。

 

最後に

人形というのは可愛く、そして誰かに愛されるために生まれたものという認識が強いせいか、交流の話のフィーバー具合とその後青い目の人形が辿る処分の悲劇を思うと哀しいものがありますし、人形から今と変わらぬ姿を観るというのは複雑な気持ちになります。

ただ、人形なるものは人間に似て人間に非なるもの…都合がいいかもしれませんが人形が趣味の私には私の気分をうつしたり、意外な自分に気が付く鏡に近い存在でもあります。人形交流の中でこうして当時の日本の姿を観ることができるのは、やはり存在が人形だからかなーと雨の音を聴きながら、学術にもならぬ個人の感想をぼんやり思うのでした。