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本、人形、素体

読書する喜び『夜想#中川多理—物語の中の少女』出版記念展・京都巡回展

夜想#中川多理—物語の中の少女』出版記念展・京都巡回展の感想を書いていないのを思い出したので、その感想。

 

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少女とあるけれども、今回は男子率高め。ただ、男子という創作人形では比率的に多くはない造形で見せてくれることにより、作者の造形力や表現力の幅がかなりあることが感じられる展示になっていました。

特に青年の人形が4体あったので、今までの展示とはだいぶ毛色が違う。中川多理さんの少年ばかりの展示は過去のグループ展であったけれども(2013年のグループ展「Elpis」)、中川多理さんによる青年の人形は初めて。

新作の少女は小鳥シリーズと云われる侍女の姿をした少女たちと、夜想特装版のちびっこたち。少女の短髪率が高くて、特にうちのりーぬことマルスリーヌのちびっこVerが短髪だったので「うちのりーぬも短髪にしてもいいんですよ?」と思いました。私、短髪の美少女が好きなんです。りーぬを身請けするときに長髪だったのが気になっていましたが、長髪なので宇野亞喜良の女子っぽさもあるわけで…と、脱線するので、この話題はこれまで。

 

私が中川多理さんの作品を見始めた頃…過去の作品もありましたが、顔立ちの変遷が辿れるようで面白かったです。この頃はまだ中川多理さんの作品を身請けするとか考えていなかったなぁ…と一人で感慨深くなっていました。

 

 

さて、物語の中の少女シリーズは2015年から始まり、2回目ぐらいから展示より前の時点でどの作品から人形を作るかわかるようになっていました(たしか、1回目は直前に発表だったはず)。

特に今回は展示の前にメルマガでリストアップされていました。

今回は下記の通り。

 

三島由紀夫『癩王のテラス』

アントナン・アルトーヘリオガバルスまたは戴冠せるアナーキスト

服部まゆみ『この闇と光』

山崎俊夫『耶蘇降臨祭前夜』

山尾悠子『角砂糖の日』

 

…こうして書いてくださったのだから、予習していくに越したことはない!というわけで、私は『癩王のテラス』と『この闇と光』を予習して挑みました。

 

決定版 三島由紀夫全集〈25〉戯曲(5)

決定版 三島由紀夫全集〈25〉戯曲(5)

 

『癩王のテラス』が絶版なので、全集で読むという暴挙。

「癩王のテラス」は寺院の完成と反比例して王の美しい容姿が崩れていくも意外な勝利をみせる戯曲。

この作品からできた人形がメインに来ていたので、これは読んでおいて大正解だった。

全集自体は知らない話が大半だったのだけど、「聖セバスチァンの殉教」に関しては「本当にこの題材大好きなんですね!」と思うなどしました。

「子供のころ…『聖セバスチァンの殉教』ってありますよね…あの絵…画集で見たときですね。あの「セバスチァン」が矢を受けて傷付いている「肉体」…あれ…初めて見た時…なんていうかその…下品なんですが…フフ…射精…しちゃいましてね…」と三島由紀夫が思っていそうな作品だと認識しております。

 

 

この闇と光 (角川文庫)

この闇と光 (角川文庫)

 

 以前書いた感想はこちら↓

hikimusubi.hatenablog.com

これは実は肝心のところがネタバレしたうえで読みましたが、やっぱり予習してレイア姫を観に行ってよかったです。

造形が「たしかにこの人形はレイア姫だ」と思えるものだったので。

 

 

始まりの話

創作人形が好きな人は一体、どこから入ってきたんだろう?という呟きを見かけたので、何度目かわからないけど最初の話。

 

私の創作人形好きはヴィジュアル系バンドから…ヴィジュアル系バンドミニコミアプレゲールの人形特集が天野可淡四谷シモン吉田良なども紹介しつつ三浦悦子の初期の人形も紹介しているという先見の明ありすぎのラインナップでした(吉田良はなかったかも)。

存在を知ると同時に歴史も知れるというのは、ネットではない、書籍の強みだと思います。

 

ほかにもその前後で創刊された季刊エス(漫画家へのインタビューなどもあるイラスト雑誌)が天野可淡の人形の写真を掲載していたり、04年の東京都現代美術館球体関節人形展~DOLLS of INNOCENCE~」もあったので、ハマった時期に良いもの観られた感。

ただ、りーぬの身請けまでその後十数年の開きがあります。東京都現代美術館の展示の当時はまだ茨城に住んでいたので、頑張って上京して観に行きました。懐かしいなぁ。

 

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これは過去に載せたかな?

シーシャを吸うりーぬです。本文とは特に関係ありません。

『人形たちの白昼夢』に出てくる人形の容姿一覧

容姿を褒める意味での「人形のような」という表現が気になる人でもあるので、先日の本から考えてみる。 

人形たちの白昼夢

人形たちの白昼夢

 

 こちらの本に出てくる人形の容姿をメモ。

「コットンパール」

絹の肌触りの亜麻色の髪。睫毛が長い。コットンパールを頭に乗せられる

 

プッタネスカ

子供ぐらいの大きさで巻き毛。頭に青いリボンをしている。

 

「スヴニール」

緑の目。ロッキングチェアに座っている

 

「リューズ」

1体目

シルクの白い靴下、黒いエナメルのストラップシューズ、腰まで届く長い髪、少女のような華奢な肩、繊細なアンティークレースの襟、黒いワンピース、刺繍入りのペチコート。指は節。表情はないが運転席を立つと微笑む。

2体目

主人公の記憶の中の画像の話に出てくる。足を投げ出して座り、あどけなく微笑む。

この世界の自動人形の説明のシーンだが、容姿に関して描写があるのはこの人形のみ。

3体目

襟と袖にレースのあしらわれたワンピース(色は黒)。額から頬にかけて淡い青いリボンがかかって片目がかくれている。左腕には紺色のリボン。

4体目

木に飲み込まれている。頬にヒビ、青い目。

5体目、6体目、7体目

黒いワンピースにメイドキャップ。暖かくもつめたくもなくさらさらしている肌触り。

10歳前後の子供と同じぐらいの背丈

8体目、9体目

たっぷりとした長いドレスを着ている。白い髪。

10体目

金髪、碧い目、ロココ調のドレス

11体目

髪を細かく編んだチャイナ服

12体目

まっすぐな黒髪、大きな芍薬、着物

13体目

赤毛、妖精のようなきらびやかな衣装

14体目

シニヨンバレリーナ姿

15体目

縦じまのワンピース、亜麻色の髪、陶器のような頬

 

「ビースト」

白銀の巻き毛。髪の毛には青いリボン

 

モノクローム

会話の中に登場。ある人物の友人が精巧に人形を作るとのこと。

 

「アイズ」

記述無し。

人形の目をくりぬいたというセリフあり。

 

「ワンフォーミー・ワンフォーユー」

黒い髪をおさげにしている。持ち主と似た服を着ていて持ち主の母の形見。

 

「マンダリン」

髪をお団子にして刺繍入りのチャイナ服を着ている。

腕をもがれたり目玉をくりぬかれても修理に出されて帰ってくる。

 

「ロゼット」

陶器製、青いガラスの目、微笑みを浮かべている。

高価な布やレースを使った丈の長いドレス。中は骨格のみでねじやゼンマイが動いている。

持ち帰った勲章のリボンをほどいて頭に飾っている。

他にも同じような戦争で死んだ少女の髪の毛を使って作られた人形がいる。

 

「モンデンキント」

青いリボンを結ばれた人形が出てくる。主人公のお気に入り。

 

「ブラックドレス」

「時をつむぐ人形」という文字がある。

 

書き出してみるとそんなに容姿について付言されていなかったです。

人形という存在は強いので、容姿の描写は目の色、髪の色、着ているものぐらいでなんとなくイメージが湧くといえばそんな気がします。

ロリィタ服も「人形のような恰好」と表現されることもありますし、ロリィタ雑誌でも「私は人形」みたいな文章が付くことがありますし(「ガイヤが俺に輝けといっている」みたいなそういう感じの文章です)、文章の中における人形というのは「華やかな服を着ている美少女の姿をしている」と認識される、もしくはそう認識されるのを期待されているのかもしれません。

大越孝太郎と人形

先日の「容姿をほめる意味で人形のような…と使われるようになったのはいつ頃?」という話を頭の片隅に置いて生きています。

1911年が初出の童謡「人形」(私の人形は良い人形~♪って歌です)は人形の容姿をほめる歌なので、これ以降でもいけるのでは?というのが本日のひらめきです。

 

ちなみにこの歌は大越孝太郎『天国に結ぶ恋』で結合双生児の兄妹が歌っているシーンがあります。そんなわけで大越孝太郎と人形の話。

 

大越孝太郎は『人形考』という本に寄稿しているので、先日読んだ『人形論』にも名前がさらっと出てきますので、人形に関連が深く思えますが、意外にも大越孝太郎の漫画で人形が特に大きく取り上げられるのは単行本収録作品では2作品ほどです。

 

不思議庭園の魔物 (九竜COMICS)

不思議庭園の魔物 (九竜COMICS)

 

もう16年前の本なのか…。

それはともかくこちらに収録されている「人形姫」が人形を扱った作品です。

内容としては隔離政策がとられた病気の女性から生まれた男の子が人形と出会い、その後の運命を大きく狂わせたんだろうな~というのが想像できる話。

短編でページのほとんどは出会い、ともに時間を過ごすところに使われています。

…って書くとちょっとロマンティックですが、人形と相思相愛ではなく、一方的。

一方的というのもまた人形相手っぽいですね。

 

あとはAmazonでは購入不可で名高い(名高かった?)『猟奇刑事マルサイ』に「シリコンラバードーターズ」という作品があります。

こちらは連続ラブドール遺棄事件から発展する異常な愛の話です。

元々大越孝太郎の描く女性は人形のような整った容姿なのですが、作中のラブドールの可愛さも他の人物に負けず劣らず、他の人物に「今日のモデルよりいいですね」「なに、このジェラシー」と云われるなど魅力的に描かれています。

ちなみにこの漫画を描いたときに大越孝太郎ラブドールの実物を見たことがなかったそうです(のちにオリエント工業の人造乙女博覧会で実物をご覧になっています)。

 

人形考 (夜長姫叢書)

人形考 (夜長姫叢書)

 

読んだ記憶はあるのですが、大越孝太郎が少年時代に入院した時に綺麗なお姉さんが入院していて「人間やめて人形になればいいのに」と思った話が出てきたことしか覚えていないです。

 

 

TH no.41 トラウマティック・エロティクス (トーキングヘッズ叢書 第 41)

TH no.41 トラウマティック・エロティクス (トーキングヘッズ叢書 第 41)

 

人形作家の森馨との対談を収録。

『猟奇刑事マルサイ』に出てくる四肢切断の女性は四肢のない人形をイメージして描いている話が出てきます。

 

 

先日、沙村広明『ベアゲルター』が良すぎて、一番好きな!大越孝太郎はどうした!となったので、人形に絡めて書いてみました。

寡作、絶版…で読むチャンスは多くないのが欠点ですが、一番好きな漫画家です。

「人形」は「女の子」のものなのか:人形をめぐる近現代史

講義を聞くのは久々でした。

www.rikkyo.ac.jp

こちらを聞いてきました。もちろん、人形というテーマに惹かれてです。

 

講師の吉良智子さんは日本美術史の研究者…から出発して現在はジェンダー史の研究者とのことです。

 

メモを取ったので、メモを観ながら、思い出したことを書いてみます。

  • 明治以前の人形
  • 教育からやってきた
  • 戦争と人形
  • 戦後:女子は人形の消費者になるも…?
  • 質疑応答
  • 終わりに

 

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人形の話『人形論』

意を決して読みました。

人形論

人形論

 

読了。

 タイトル通り人形について論じた本。

「呪術」「愛玩」「鑑賞」を三頂点とし、物質性を頂点とした人形三角錐を提唱して人形界のある特定的な要素を絞りながら論じることを本編としています。

日本における人形の小史、自動人形、フィクションにおける人形など様々に語られているのですが、その中で私が躓いたのが創作の球体関節人形がゴシックドールと書かれて論じられている事でした。

申し訳ございません…私、この本だとゴシックドールに分類される人形と暮らしていますが、ゴシックドールって云い方をしたこと無いです…どこから出てきた言葉でしょうか…*1

この言葉が引っかかってしまい、ソウジャナイを抱えたまま最後の方まで読むと対象読書者が人形界の外部…人形にあまり興味が無かった人たちに著者の驚きや感動を控えめながらも伝達し、人形界と外部を何らかの形で繋げたいということをはっきり書かれていました。

つまり、人形を追いかけ、今では人形と同居している私は内部側の人であり、この本の対象読書者ではないのです。

しかし、仮に著者が名付けておいたものだとしたらそのことをはっきり書いておくべきだと思いますし、外部に向けて書いたものなら尚更。

私、将来「ヒキムスビさんちの人形ってゴシックドールっていうんですよね!」と云われたら、顔が一瞬だけ増田こうすけ作画になると思う…。

本になるということは、後の資料になる可能性があり、また、何かを論じるときの出典は断然紙の資料が強いです。こうした事実と違えども後に事実と認識されてしまうということを恐れているのですが…作家たちの言葉は活字になっているものも多少あるので、その心配は薄いと思いたいです。

 

 

色々気になったこと

私の守備範囲の人形についての章で気になったこと

「例えば誰が三浦悦子の人形を愛玩するだろうか」

→割といる…しかも三浦さんの人形はかなり人気です。

「ゴシックドールを自分の寝室に添わせることに若干の躊躇を覚える(略)ゴシックドールの鑑賞には〈私秘性〉の欠如がある」

→ひとり暮らしの時はりーぬを寝室に置いていました…しかもそれ幻想文学の東さんと中川多理さんのトークイベントで自慢した過去があります…。

「愛玩を拒否または無視し、一瞬闇や無機能性の裂け目を開いてくれるその種の人形」

→りーぬや、君はそんなにまがまがしいものだったのか!?

 

さすがにゴシックドール(本当、この云い方は慣れない)は愛玩を拒否している、は書きすぎたとおもったのか、注釈で「作家の個性の違いがあるので、もちろん、そう一概にいえないのは承知している。ただ概略的には普通いわれる愛玩の世界とはずいぶん異なるのは否定し難い」とありました。

 

自分が愛好する分野で期待値が高かったからがっかりしたのか、好きだから地雷原なのか、それとも愛好家の話がほとんどなくあえて避けたのか、取材がないようだがあえて人形についてだけ論じたのか…私が読むと細かいところばかりが気になって、上手く頭に入ってきませんでした。

 

*1:高橋英理が夜想(注釈をみたら2004年だから、ゴス特集か)に寄せた文章で「ゴシック・ドールの系譜」というものがありますが、そこからかな…でも私は使ったことがないよ…

人形は人間を映す存在でもある『青い目の人形と近代日本』

つい語りたくなる本に出会うことができるのは読書の楽しみであると思っている。

青い目の人形と近代日本―渋沢栄一とL.ギューリックの夢の行方

青い目の人形と近代日本―渋沢栄一とL.ギューリックの夢の行方

 

読了。

久しぶりに読みごたえがあって、色々思うところがったので、少し長めに参ります。

 

  • 大まかな感想
  • 友情人形について
  • 日本と人形
  • 当時の反応について
  • 最後に

 

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