衛生ゴアグラインド

本、人形、素体

洛中洛外冷戦『京都ぎらい』

怨みはないが、ありがたがりすぎるのはどうかと思うんだ。

京都ぎらい (朝日新書)

京都ぎらい (朝日新書)

 

読了。

京都市の洛外出身の著者による京都論。洛中の人に洛外出身をバカにされたという怨みをパワーに憎しみをやる気にして書かれていますが、楽しく読めるし、やっぱり京都はそうなのか…と思うなど。

安くて美味しいものは大阪にあって、大阪だけが京都をバカにできるそうです。

隣の滋賀はどうなんだろ?滋賀出身の恋人に聞いてもコメントは得られませんでした。

よくバラエティでは「琵琶の水を止める」なんて話もありますけど。

 

終盤は日本史絡みの話になるのですが、天龍寺後醍醐天皇の怨霊化を恐れて作られた寺という話を読んで「後醍醐天皇の怨霊で日本転覆を目論む陰陽師とかいそう」と思いました。そんな帝都物語ならぬ京都物語(仮)があったら教えて下さい。

 

精神科病院のちょっと事件ありの日常『緘黙』

好きな作家の本を選んで楽しいと嬉しい。

緘黙―五百頭病院特命ファイル (新潮文庫)

緘黙―五百頭病院特命ファイル (新潮文庫)

 

 読了。

3人の個性的な精神科医が15年間喋らない患者の治療をするという内容の小説。作者の他の著作同様、症例や文学作品がところどころ引用されていて、小説になってもやり方はほぼ一緒。

細かい描写が心地よく、3人の精神科医の描写に過去の著作や作者本人を思わす面もあって、この作家が好きで他の作品も読んでいたから面白いというのもあるかも。

 

蟹江医師の実家の鉛筆メーカーが出している「知恵の木鉛筆」についての話が好きなのでちょっと引用。

ナイフで削ると、この製品特有の香りがほのかに漂い、それはいかにも知性とか書物とかノスタルジーを連想させ、それどころか官能的とさえ思える匂いなのだった。それにモスグリーンの軸木とキツネザルのマークのチャーミングなこと!文筆家、画家、建築家など多くの人々にこの鉛筆は愛された。仕事を始める前の儀式としてまず知恵の木鉛筆をゆっくり削る、という人種が結構いる。

 といったわけで零細メーカーながら伝統的な製品としてこの鉛筆は指示されてきた。高価とはいえ、所詮は鉛筆なので、貧しい芸術家たちへの心の潤いをもたらしてもこれたのだろう。

 

医師たちが過去の著作を思い出させるので、思い出した過去の著作などを。

津森医師

優しく接してくれるような医師。比較的メインのように感じるし、作者に一番近い印象。声が良く、過去に食べた料理の味を再現できるという能力あり。家族仲はあまりよくなく、離婚歴あり。

「キモさ」の解剖室 (よりみちパン! セ) (よりみちパン!セ)

「キモさ」の解剖室 (よりみちパン! セ) (よりみちパン!セ)

 

中学生向けの本。この本で「患者さんは自分がなっていたかもしれない姿」語るのが津森医師とだぶります。

 

 

大辻医師

東大出身のエリート医師。背は低いが男前。メディアへの出演も多数ながら、負い目のある過去もある。

華やかな職業の女性をパートナーに選びがち。今はアナウンサーの女性と付き合っている。食へのこだわりはあまりない。

鬱屈精神科医、占いにすがる

鬱屈精神科医、占いにすがる

 

大辻医師はこの本に出てきたエピソードを思わせる話がある。

著者が「容姿が悪いので自慢の息子になれなかった」と嘆くので、顔の良い大辻医師のエピソードに採用するのは丁度良いかなと思いました。

 

蟹江医師

車を乗り回したり、リコーダーを吹くのが趣味。文学少女ペンネームで作品が乗ったこともあるけれどもペンネームは教えてくれない。スエロニスム・ボス「愚者の治療」を控室に貼っている。

 

幸福論 ―精神科医の見た心のバランス (講談社現代新書)

幸福論 ―精神科医の見た心のバランス (講談社現代新書)

 

 

斜に構えた話ばかりなのですが、珍しいものを見たことを世界の仕組みを観たと表現するなど「確かにそれはちょっと嬉しい」と思う話が多々ある。 独自の楽しみを持っている蟹江医師はこの本のイメージが強いかなと思いました。

自己文章愛の遍歴

ブログを書くのは数えたら10年以上続いた趣味になっていました。

途中で書かなくなった時期もありますが、完全に辞めずに復活しているあたりは続いているといえるんじゃないでしょうか。

過去のブログと傾向を自分用にメモしておきます。

 

「Eccentric Gorey」2006-2007

当時のバイト先の宣伝ブログ。店の事やイベントの事を書いていました。

消すときに「ファンです。文章は続けてください」という感想をいただけて嬉しかった記憶があります。

タイトルはエキセントリックな人とバイト先のオーナーに云われたこととオーナーに勝手に付けられたあだ名を少し変えて付けました。

 

「My Sweet Fanny Adams」2007-2009?

「文章は続けてください」という言葉を真に受けて始めた好きなことを書くブログ。

観た映画の事などを書いていましたが、あんまり覚えていません…。

あるインディペンデント映画の感想を書いたら監督からコメントを頂けて嬉しかった記憶があります。

タイトルは取るに足らないという意味のsweet fanny adamsという慣用句から。

 

「猟奇グラインドコア」2009?-2015

やっていることは基本的に変わらず、観た映画や読んだ漫画、音楽や本、見に行った展示の感想を書いた雑多なブログ。基本的には「好きなことを書く」というもの。

2011年に人形趣味が再燃したので人形の話が出てきますが、りーぬを身請けしたことにより趣味嗜好に頑張らなくてよくなったと更新終了宣言をしました。

タイトルの所為かグランドコア好きの方からフォローされていました。男性の読者が多かった気がしますが、最近になってかなり好いてくれた女性がいたのが発覚しました。

今でもログが現存しています。

タイトルは私が好きなものは大体「猟奇」でくくれると思っていたのと、好きな音楽のジャンル「グラインドコア」を足したもの。あと当時の友人に「君は存在がグラインドコア」と云われたのも理由でした。

初期は「猟奇娘グラインドコア」でした。娘って歳でもないので途中で外しました。

 

「衛生ゴアグラインド」2017-

人形ブログのはずが、雑多なのは相変わらず。しかし、猟奇グラインドコアの頃よりも過剰さ減、精度は上がって、ポジティブな感じになっています。

タイトルは音楽ジャンルから。グランドコアをさらに残虐にしたゴアグラインドに衛生と付いたら相反して面白いかなと思ったのとこれ以外に思いつかなかったため。

よそ様の人形ブログはもう少しキラキラしていたり、耽美だったりしますが、私がそうしたタイトルでブログをやっていくのに抵抗があったので自分が抵抗がなくて前より素敵なタイトル…と思ったらこうなりました。

恐怖を楽しめるのには理由がある『恐怖の構造』『恐怖の作法』

読んだ本とそこから思い出した以前読んだ本の話。

恐怖の構造 (幻冬舎新書)

恐怖の構造 (幻冬舎新書)

 

読了。

ホラー小説家が恐怖について語った新書。今好きな作家だからというのもあるけど面白かった。

前々から云っている「キチガイは好きだけど変態はちょっと…」という理由についても詳しい。

それによると

変態→過剰な自己愛。自分の趣味嗜好から欠点、弱さを容認し、それを強要してくる。自己改革やタフネスとは無縁の理不尽な押し付けをしてくる。大衆ができるけどやらないことをする。

狂人→自分の望むことについてはなりふり構わず突き進み、自分の弱さも含めた障害になるものととことん戦い、己を克服する。大衆ができないことをする。

…という振り分けになっています。

前に変態はすがってくる感じと云っていたけど、こういうことか~。

 

スプラッターがある映画は好きだけど、スプラッター映画は好きじゃないという話や、ホラー小説創作論も楽しいし、そりゃそうだわなーと思うなど。平山夢明作品のタイトルが魅力的な理由も感じられます。

ホラー小説志願者に送るアドバイスで「書き手自身がどんなアンテナを張って何に気づくか」とあるけど、日々を楽しく生きるのだってそうだと思うよ。面白いことはそうそう降ってこないんだから、自分で感じ取るしかないと思っていますよ。

 

恐怖の作法: ホラー映画の技術

恐怖の作法: ホラー映画の技術

 

同じ恐怖について語った本でこちらを思い出した。

ホラー脚本家による恐怖についての本。

自身の作品及び手法、ネットにおける怪談について、ホラー飽きたといいながらも脚本のべからず集を掲載するなど作り手なら参考になりそうな話がどさっと。扱われるホラーがファンダメンタルなホラーなのですが、著者の好みは私の好みとズレるので、好きだから楽しいというよりはプロの理論的な話が読めたので収穫があったなぁという具合。

襲撃者の昼『首狩の宗教民族学』

読書は娯楽なので、自分の興味がある本を読むようにしています。

首狩の宗教民族学

首狩の宗教民族学

 

読了。

首狩について東南アジア、台湾を中心に書いた本。

統治時代に研究がされたこともあるからか、台湾の章が充実している。

タブー視される歴史だったからか、初めて知ることも多かったです。

豊穣を祈って、成人の儀式として、モテたくてなど首を狩る理由は様々あり、狩った首はどうしたのか、首を狩るルールや、首狩に関しての現地での言い伝えも多数紹介。動物の首だと喜ばなかった少女が人間の首をもってきたら大喜びって、もうサロメかそれ以上の話もありました。

 

モンド趣味丸出しで読みましたが、真面目な読み物でしたし、丁寧だったので好感度が高い本でした。

あと、最後に大戦時の日本人の首の話をもってきて、自分と地続きに感じがする構成も個人的に良いと思いました。

 

タブー視される台湾の首狩ではあるものの、「過去を克服する、過去の傷をいやす」「(首狩の現在の認識は)文化内で有していた重要な意義をないがしろ」にしているなど研究者の指摘のもと捉えなおされているという向きは負の歴史扱いのものと向き合うという今後の例になるのかしら?被害者がいると難しいことではあるものの、何らかの気持ちの折り合いが付けられたらとは思います。

『人形たちの白昼夢』に出てくる人形の容姿一覧

容姿を褒める意味での「人形のような」という表現が気になる人でもあるので、先日の本から考えてみる。 

人形たちの白昼夢

人形たちの白昼夢

 

 こちらの本に出てくる人形の容姿をメモ。

「コットンパール」

絹の肌触りの亜麻色の髪。睫毛が長い。コットンパールを頭に乗せられる

 

プッタネスカ

子供ぐらいの大きさで巻き毛。頭に青いリボンをしている。

 

「スヴニール」

緑の目。ロッキングチェアに座っている

 

「リューズ」

1体目

シルクの白い靴下、黒いエナメルのストラップシューズ、腰まで届く長い髪、少女のような華奢な肩、繊細なアンティークレースの襟、黒いワンピース、刺繍入りのペチコート。指は節。表情はないが運転席を立つと微笑む。

2体目

主人公の記憶の中の画像の話に出てくる。足を投げ出して座り、あどけなく微笑む。

この世界の自動人形の説明のシーンだが、容姿に関して描写があるのはこの人形のみ。

3体目

襟と袖にレースのあしらわれたワンピース(色は黒)。額から頬にかけて淡い青いリボンがかかって片目がかくれている。左腕には紺色のリボン。

4体目

木に飲み込まれている。頬にヒビ、青い目。

5体目、6体目、7体目

黒いワンピースにメイドキャップ。暖かくもつめたくもなくさらさらしている肌触り。

10歳前後の子供と同じぐらいの背丈

8体目、9体目

たっぷりとした長いドレスを着ている。白い髪。

10体目

金髪、碧い目、ロココ調のドレス

11体目

髪を細かく編んだチャイナ服

12体目

まっすぐな黒髪、大きな芍薬、着物

13体目

赤毛、妖精のようなきらびやかな衣装

14体目

シニヨンバレリーナ姿

15体目

縦じまのワンピース、亜麻色の髪、陶器のような頬

 

「ビースト」

白銀の巻き毛。髪の毛には青いリボン

 

モノクローム

会話の中に登場。ある人物の友人が精巧に人形を作るとのこと。

 

「アイズ」

記述無し。

人形の目をくりぬいたというセリフあり。

 

「ワンフォーミー・ワンフォーユー」

黒い髪をおさげにしている。持ち主と似た服を着ていて持ち主の母の形見。

 

「マンダリン」

髪をお団子にして刺繍入りのチャイナ服を着ている。

腕をもがれたり目玉をくりぬかれても修理に出されて帰ってくる。

 

「ロゼット」

陶器製、青いガラスの目、微笑みを浮かべている。

高価な布やレースを使った丈の長いドレス。中は骨格のみでねじやゼンマイが動いている。

持ち帰った勲章のリボンをほどいて頭に飾っている。

他にも同じような戦争で死んだ少女の髪の毛を使って作られた人形がいる。

 

「モンデンキント」

青いリボンを結ばれた人形が出てくる。主人公のお気に入り。

 

「ブラックドレス」

「時をつむぐ人形」という文字がある。

 

書き出してみるとそんなに容姿について付言されていなかったです。

人形という存在は強いので、容姿の描写は目の色、髪の色、着ているものぐらいでなんとなくイメージが湧くといえばそんな気がします。

ロリィタ服も「人形のような恰好」と表現されることもありますし、ロリィタ雑誌でも「私は人形」みたいな文章が付くことがありますし(「ガイヤが俺に輝けといっている」みたいなそういう感じの文章です)、文章の中における人形というのは「華やかな服を着ている美少女の姿をしている」と認識される、もしくはそう認識されるのを期待されているのかもしれません。

絶妙な匙加減『人形たちの白昼夢』

人形モチーフの小説に手を出すなど。

人形たちの白昼夢

人形たちの白昼夢

 

 読了。

人形と青いリボンが出てくる短編集。モチーフが好きなものにつき地雷を踏み抜かれる覚悟だったけど、読んだら絶妙な話の方が多かった。

掘り出し物感。

ポットが語る少女の話「ワンフォーミー・ワンフォーユー」、読書好きの少女と少年の話「モンデンキント」が良かった。

全ての話において、人形が重要な役割を果たすかというとそうでもないのだけど、本としての統一感が出ている。

人形がかなり出張ってくるのはオートマトンが出てくる「リューズ」「ロゼッタ」という2作品。どちらも幻想寄りのリチャード・コールダーという印象。

 

小説で人形を使うときは距離感があった方が私は好き。特にその人形が球体関節人形だと作者の思い入れがあり過ぎると、ものすごい臭みが出るし、説明が多かったり長すぎたりして、げんなりすることの方が多いので、人形モチーフは地雷として扱っています。