純真が招いた負の連鎖『マジカル・ガール』

 

鑑賞。

余命わずかの娘の願いを叶えるべく、とーちゃんが間違った方向に頑張った結果、このざまだよ!というスペインの映画。ちょっと牧歌的なノリなんで体感時間長い。魔法少女は全面には出ていないけど、日本のあれこれは頑張っていて好感ですね。インタビューによると監督が日本フリークなんだとか。

お金を作ってくる手段で謎のお屋敷が出てくるのですが、中での出来事は映らないので厭な感じに想像力を掻き立てられます。

他にも詳細が不明な部分は多かれども、もやっとはしない不思議な後味でした。

 

この映画、公開時にロリィタ服で来場すると割引っていうのをやっていたけど、衣装が映っている時間は大してないし、そういう人らが好きかっていうとそうでもないと思う(ロリィタ服は服なんだよ!)。映画会社の人も関連のないもんを関連付けていろいろ大変ですね…とそんなことを思いました。

量をこなして質を見出す

togetter.com

一応、この発言は岡田喜一郎『淀川長治の映画人生』に出ているようです(コメント欄にあった)。

見つけるのには数をこなさなくてはいけないこともあるのだけど、本当、何事においてもそう。

りーぬを身請けする前のこと…人形を身請けしようと思ったとき、既に人形はそこそこ数を観ていたとはいえ、更に観たし、なんなら身請けの決意の前に自分で人形をカスタムして「餅は餅屋!」ってなったんで、やっぱり数をこなして失敗の積み重ねや観察は大事だと思いましたよ。

…そして数でマウントをかけられたときのためにもこのことはちゃんと覚えておきたいです。

体は資本だからメンテナンスが重要

今週のお題「体調管理」

基本的なところで手洗いと水などをこまめに飲むことで抵抗を試みています。

あとは生姜などを食べて体を温め、決して無理をせず、よく眠るようにしています。

 

そんなところでしょうか。

美術品の値付け

Twitterを観ていたら、絵の価格を作家の思い入れで変えてもよいかどうかの話が流れてきた。

画廊に所属している作家の絵の価格の話だったようなのだけど、単純に絵の話かと思った人たちが一気に群がって、ぐちゃぐちゃしたことになっていた。

絵や美術品の価格…私は作家毎にしか作品をみていないけど、欲しくてリサーチも兼ねてずっとみていると「この作家の大きさの作品はこの価格、この構造のはこの価格」ってだいたい解ってくるから、大きさや構造が規格になって価格が決まるんだねーって思っていた。

画廊で扱われている作品はだいたいそんな印象で、他の作家さんの発言をみるにその感覚はあまり間違ってはいないと思う。

個展のDMになったとかほかのメディアで使われたなどで多少の色が付くことはあるだろうけど、買うことがある側としては、一定の基準はあったほうがいいと感じる。

価格は事前に出てこない事の方が多いから、リサーチしてあたりを付けておけて良かったことがありますしね。

…しかし、あたりを付けておいて良かったと思うあたりに私が美術品使う金に不自由しているのがよくわかりますね。

コレクションなんて金のある奴の勝ちですから、コレクションでは無いものの身請けしたいなりの作戦であり、ないものなりの工夫の話です。

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縛り読書:表紙が宇野亞喜良の本を読む

 宇野亞喜良が表紙を手掛けた本を読むという縛り読書。

猫舌男爵 (ハヤカワ文庫JA)

猫舌男爵 (ハヤカワ文庫JA)

 

 短編集ながらどの話も差異と死が共通のような気がする。明るく不思議な展開をみせる「猫舌男爵」、人種が絡む「オムレツ少年の儀式」「太陽馬」、死から始まる「睡蓮」、死への過程の「水葬楽」にしても。

 

 

異性 (河出文庫)

異性 (河出文庫)

 

 歌人穂村弘と小説家:角田光代によるリレー形式の恋愛エッセイ。角田光代のターンで身に覚えがあることが色々出て来て「私だけじゃないのね」とちょっと安心したり、穂村弘のターンで「そういう事だったのね」と思ったり。

具体的には角田光代のターンで相手の些細な発言により好意を持ってくれたと錯覚して恋心が芽生えて、色々あってフラれてしまった時に「あの時ああいってくれたのに…」と悩む話など。

 

論理と感性は相反しない

論理と感性は相反しない

 

 何気ない日常や会話、古典のパロディもありつつもそれほど大きな事件はないそんな安心感がある短編集。

「架空のバンドバイオグラフィー」というタイトルそのままのバイオグラフィーに出てくるアルバムやツアーのタイトルがすき。「架空のバンドバイオグラフィー」に出てきた曲名が「会計は別々で」「三十代で会社の後輩に優しくしてごはんをたくさんおごると、四十代で仕事が軌道に乗ります」、ツアータイトルが「夕ごはんツアー」とかそんなこんな。

生まれる時代を間違えたわけではない『モダンガール論』

「女学生とかモダンガールとかああいうのは特権階級のもので、昭和初期に生まれ変わったところでなれやしない」という前提が私にはある。

昔の華やかな文化について思うと、それらを今、楽しめるのは当時の人間ではないからだと暗い影が落ちる事もあります。

 

ちなみにその思想を私の植え付けた本がこちら。

 

モダンガール論 (文春文庫)

モダンガール論 (文春文庫)

 

モダンガールになれる可能性の低さをやたら強調してくれています。

実際、私の母方の家系は祖母の娘時代に一回傾いてしまったので祖母の兄弟間で教育格差があるため、納得がいきます。

…ちょっと昔の文化が好きだからって生まれる時代を間違えたなんて気軽に云わないようにしたいです。

少数でお送りします

同居人に人形が増えると思われたくはないと思い、思わず「私は人形を所有しているけど、積極的に増やす気はないですからね」と告げたところ「アンチ・ハーレムなの?」と返されました。

アンチ・ハーレム…もっと、他の云い方は無かったのか。

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旧居で撮った写真。

りーぬが難しそうな顔をしていても小さいコたちは楽しそうです。