衛生ゴアグラインド

人形を愛で、本を読み、肉を食べる

脚本家の話『映画はやくざなり』

その手の映画は詳しくないけど、面白いものとはどんな要素があるんだろう?と思ったので。

映画はやくざなり

映画はやくざなり

 

読了。

脚本家によるエッセイ+未発表シナリオ。

シナリオ骨法十箇条が目当てで読みましたが、映画「226」でプロデューサーに「遺体に鼻を擦りつける悲しみの愛犬を入れて」と云われるなどの脚本家終盤のエピソードがグッと来ました。『ハチ公物語』が当たったので犬だったようです…

他にも映画『櫻の園』のプロデューサーに対して著者が「山谷の労働者は見ない映画」と云ったら「見なくて貰わなくて結構。彼らに向かって作っていませんから」と返されるエピソードもありました。

色んな事がニッチになったり、プロデューサーが変なこと言いだしたりというのが平成初期ぐらいから始まったのかな…という気持ち。

別の映画監督の本でも「親子愛で泣かせて」と色々要求される話があったなぁ…。

 

シナリオ骨法十箇条についてはメモしておきます。

 

まず下準備として

①コンセプトの検討

②テーマの設定

③ハンティング(取材と資料蒐集)

④キャラクターの創造

⑤ストラクチャー(人物関係表)

⑥コンストラクション(事件の配列)

⑦プロット作り

をクリア。その後に出てくる娯楽映画のコツがシナリオ骨法十箇条。

その1:コロガリ(サスペンス。観客をワクワクさせるもの)

その2:カセ(主人公に背負わされた運慶、宿命。コロガリが主人公のアクティブな面を強調するのに対して、加瀬はマイナスに作用するもの)

その3:オタカラ(主人公にとって守るべきもの、主人公に対抗する側はそうはさせじとする葛藤の具体的な核)

その4:カタキ(敵役。内部から主人公の心を侵害するものでもOK)

その5:サンボウ(瀬戸際に立った主人公が根性を見せて運命や宿命に立ち向かう決意を示す地点。話の方向性を観客に気が付かせ、心をつかむ部分)

その6:ヤブレ(破、乱調。一度は失敗、危機、落ち目をだして存在感を出す)

その7:オリン(ヴァイオリン。ヴァイオリンをかき鳴らして感動を誘うヤマの一歩手前の部分)

その8:ヤマ(山場。見せ場。クライマックス。ドラマ要素が集結する一大修羅場)

その9:オチ(ラストシーン。作者が思いっきり楽しみつつ繊細な気遣いを持って書き上げるべきところ)

その10:オダイモク(テーマ。ドラマを書き進めた上でのテーマと最初に設定したテーマで差異が出ることがあるが前者の方が大切)

 

…こうした要素はあるけど、大切なのはやっぱり書くこととのことでした。

獣っぽい衣装が好きなフレンズ『角笛の音の響くとき』

日本で翻訳されてる本は読み終えちゃった…。

 読了。

第二次大戦でドイツが勝った後の世界に迷い込んだイギリス人の話。

翻訳者のあとがきでは「人間精神の奥底にひそむ不可知の部分、ほんのちょっとしたきっかけで狂気の世界にのめりこんでいきかねない恐ろしさを書くことにあったと思います」とあるものの、『人形つくり』でこのサーバンがフェティッシュな趣味をお持ちの悩める変態だという事がわかっているので、やっぱり変態っぽさが光る部分が気になる。

今回の一押しは人間狩りのシーンでは男女敵味方問わずフェティッシュけものフレンズな衣装を着せられて狩りに参加するというもの。

フェティッシュけものフレンズたちについてはちょっと引用してみます。

まずは猟犬男。

彼らの頭にはアビシニアあたりで見かける犬に似た狒々の精巧なマスクがかぶせられ、唇は本物そっくりにめくれあがって大きな歯をむきだしにしていた。灰色と黄褐色のいりまじったつややか毛のマントが肩と背中を覆い、腰のあたりまで垂れ下がっている。それから下は手にある紐がつながれた幅の狭い腰のベルトを除けば完全に裸だった。

そして鳥女

人間にはちがいないが、とてつもなく異様な格好をしている。(中略)それはすらりと背が高く、脚の長い女で、顔は極彩色の鳥の面で隠されているにもかかわらず、長い黒髪がそこからこぼれ落ちて後ろになびいていた。彼女が空地に逃げこんでくるのを見ていると、まるで古代エジプトの鳥面の女神が突然永遠の眠りからさめて命がけで逃げ出したような唐突な感じを抱かせられた。光沢のある金と緋色の羽毛の肩当てが彼女の胸を覆い、両腕には栗色と真珠光を帯びた緑の翼がしばりつけられ、腰のうしろには長くそりかえった茶と金の尾羽がたれさがっていた。これらの羽根飾りと足の黄色い靴以外に、彼女は何一つ身に付けていなかった。

つづいて、猫女と云われる女たち。

チーターが後肢で走っているのだ、と一瞬ぼくは思った。(略)松明の光でなめらかに輝いている美しいまだらの毛皮は、実は帝国領内のすべての奴隷飼育場から念入りに運び出されたにちがいないと思われるほど、体つきといい年齢といい驚くほどよく似た一群の若い女たちの、背中と胸にかぶせられたものだった。

(略)成長の途中で悪魔的な技術と訓練によって、人間の女から、しなやかで身のこなしが軽く、危険きわまりない大猫に作り変えられた存在、それが彼女たちだった。

 猫女の描写は結構長いので、削って、削って冒頭だけ。他にも「ぴったりした毛皮の袖なしの上着が肩から、胸を肋骨の下あたりまで覆っている」「奇妙な鉤の形をした金属的な輝きをもつ手袋を両手にはめている」など細かいです。

 

他に森で出会った鳥女の仮面を外してやるシーンでは精巧な細工に感心したり、「ドイツ好みの完璧さ」と評したりしているので、この衣装が書きたかったのね、フェチフェチした衣装が好きなのか、へーと思えども、作者が真面目過ぎるのか変態の割には変態性が爆発することなく話は優等生なものの不完全燃焼だった。

もっと、がんばって!

ただ、この本はハヤカワSFシリーズとして発売され、サーバン自身はSFかというとフェティッシュな人なので幻想文学的なアプローチだったらよかったのでは?

とはいえ、悩める変態サーバンなので作品に関しての適材適所がつかめないままだったのかもしれません。

この作品が1960年代にイギリスで書かれたのに対し、同じイギリス人のイワン・ワトスンが日本のあれこれにインスピレーションを受けつつ書き上げた作品『オルガスマシン』(獣人女子が出てくる!)は1970年代なのを思うと…サーバン、生まれるのが早すぎたのと、行くところ(作品の発表の場や見に行く国)を間違えたのは…と思わずにはいられません。

 

もう少し対象読者に届きそうな形で発行された本はこちら

hikimusubi.hatenablog.com

 

毛の話『ハゲの文化史』

本のタイトルとは違う、別の話ばかりしますよ。

(155)ハゲの文化史 (ポプラ新書)

(155)ハゲの文化史 (ポプラ新書)

 

読了。

元は『髪の文化史』として書かれた本のアップデート増強版。ハゲの話は終盤にある。髪の毛の他、体毛の話もあり、フェティッシュの範囲に入るせいか「こんな変態がいたのか…」という話が出てくるので、掘り出し物感がある。

今回の変態は「自分の歯で女性の陰毛を自分の歯で抜くのが好きな人」で「メイドに金を握らせて女性客が泊まった部屋のベッドの陰毛を集めさせていた」とのこと…徹底していてこれは変態以外の何者でもないぞ!と感動しなくてもいいところでグッときた。

この本、陰毛についてのページも少しあり、そこでは「ローマの皇帝ドミティアヌスが美少年の陰毛を抜くのが趣味だった」…という話が出て来るので、陰毛を抜くというのは由緒正しき趣味のような気がしてくる。

その一方で陰毛はあったほうが好きという嗜好もあり、アンダー用のかつらなるものが存在していたという記述があり「オリエント工業のオプションかよ!」となった。

余談以外の何物でもないが、好きなグラドルがヘアヌード写真を解禁した時にそのグラドルの陰毛の生え方がオリエント工業のオプションみたいで友人と「ラブドールだ…」と盛り上がったことがある。

 

元はお世話になっている方の「ハゲはいつから恥じるようになったんだろう」という疑問から「『ハゲの文化史』とかそんな本ないんすかねぇ」…とぼやきながら検索したら発見たのがこの本だった。

肝心のハゲはいつから恥じるようになったのかというのはわからなかったが、「かつらをかぶる文化があった」「かつらをかぶったほうが若々しく見えて前向き」「髪の脱毛は恐怖」という話があるので、髪の毛があったほうが好ましいと思っている、なくなっちゃうのが恐怖と云うところかしら。

本の探し方、少しは上手くなったかな…しかし、今日は陰毛の話ししかしていない。

乙女と定義されると私は乙女ではない気がするも『オードリーとフランソワーズ』

乙女なるものではないなりに読みました。

オードリーとフランソワーズ?乙女カルチャー入門

オードリーとフランソワーズ?乙女カルチャー入門

 

読了。

著者の好きな物アレコレエッセイ。書くの楽しかっただろうなぁ。

趣味が違うのか私は乙女を通っていないのか被らない部分が多かったけど、被るものは「それ好きです」という感じ。食べ物の事があるのが嬉しいですね。耽美になると食べものの話がないのを嘆いていたら、こっちはあった!乙女はちゃんと食べるぜ!

2002年の本なので発売当初に読んでおいたり、ウェブサイトの事もあるのですぐアクセスしたりでもう少し趣味が変わったかも?

とはいえ私は見た目こそ女性ですが、マインドは切り株と流血と爆発が出てくる映画とメタルが好きなぼんくらクソ童貞なので乙女とはまた違う生き物かもしれません。

そして、話の中で京都の喫茶ソワレが何度も出てくるので、行ったことがある今が読むタイミングだったかもしれません…発売当初はまだ茨城に住んでいたし。

人間と人形の事『人形メディア学講義』

人形について論じた本が楽しいと大当たり!って気持ちです。

人形メディア学講義

人形メディア学講義

 

読了。

人形と人形文化について。元は大学の講義。言葉が伝わってきやすい選び方をしていることや、人形と人間の関係性について詳しいので、好印象。最初の宣言「人間のあるところに人形あり、人形のあるところに人間あり」ってとてもいいね。

メディアという特性もあって、人との関わりが必須だから、人形を所有したときの体験談が多い。

受講者たちの話でリカちゃん人形の四肢を寸断してシルバニアファミリーの餌として捧げていた、リカちゃんをすてて代わりに石にリカと名付けたという子供の残虐性が発揮された話がさらっとある。

 

人形(愛)というと澁澤龍彦なのですが、澁澤に触れながらも重きを置きすぎていないのが好印象でした。

人形の話するときに毎回出てくるので、食傷気味というのもあるのですが、読者のわがままとしてもう一歩先に進みたい。「人形を愛する者と人形は同一なのであり、人形愛の愛情は自己愛だった」という澁澤について多少触れた章では映画『ラースと、その彼女』が取り上げられています。

内気な青年:ラースがビアンカと名付けたラブドールと暮らし、それでも周囲の人間に受け入れられていく作品なのですが、久しぶりに思い返してみると人形を介して人間になるような話だったなぁ…と思います(映画自体を観たのが随分前)。

ビアンカが受け入れられ、またラースも受け入れられる…最後に訪れるビアンカのことも「役割を終えたから」という形で結論がされています。

そして章の最後、受講者への注意喚起の言葉を引用。

 (略)人形との《愛》と呼びえるような関係性について考えるヒントを大衆的な作品や文化事象に求める。だがそこで得た知見によって、エロティックで魔術的な対象としてラブドール等をとらえ接している人たちによき理解者を装い結果的に《暴力》をふるってしまうことがあってはならないのだと。

 もちろん展覧会に出向き、現代風俗文化のひとつとして精巧にできた人形たちを消費することに罪はない。だがその一方でそれらが有してきた/いる、いかがわしさや後ろ暗さのようなことをなかったことにすべきではない。読者の皆様にも《愛》とはそれほどにややこしく、それゆえに魅力的なのだということをくれぐれもお伝えしておきたい。

 菊地浩平『人形メディア学講義』河出書房新社 2018

 ここで出てくる多様性に通じる言葉。人形と暮らす私にもしっかり届いております。

 

関連

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サイコパスの話しようぜ!~サイコパスを知れるかもしれない本4選

フェイシャルエステとヘッドスパをされながら、サイコパスについて知るにはどの本がいいかという話をしたのでその時に上げた本の話。

サイコパス解剖学

サイコパス解剖学

 

春日武彦平山夢明サイコパスについてだべっている不謹慎面白い本。

 

恐怖の構造 (幻冬舎新書)

恐怖の構造 (幻冬舎新書)

 

サイコパスと変態の違いについて詳しい。創作論でもある。

 

自虐指向と破滅願望 不幸になりたがる人たち (文春新書)

自虐指向と破滅願望 不幸になりたがる人たち (文春新書)

 

→熊に食べられる自殺の話がつかみはOKだけど、ネクロフィリアじゃないけど死体と暮らす話があるので紹介しました。

 

あとは『狂いの構造』があればよかったかな。

 

「狂い」の構造 (扶桑社新書)

「狂い」の構造 (扶桑社新書)

 

要約すれば「面倒くさいは狂人の始まり」。サイコパスキチガイの話が多い。

すごく真面目にこれはこういうものです!って云われるよりは斜に構えて楽しんでいる方がいいって方にはだいたい春日武彦平山夢明を薦めるのですが、弊害があるとしたら、真面目に格好良く書いた犯罪小説本に対して「そんな奴おらへんやろ」というツッコミをしてしまう可能性ですかね。

 

 

詳しい感想

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