衛生ゴアグラインド

本、人形、素体

私がだるまちゃんじゃなくなっても『未来のだるまちゃんへ』

後から知ることは多かれども、少しはあっているとなんだかうれしい。 

未来のだるまちゃんへ (文春文庫)

未来のだるまちゃんへ (文春文庫)

 

読了。

かこさとしの自叙伝。

少年期の思い出や出来事、昭和20年以降を余生とし、子供たちのために生きようと思い生きた話が盛りだくさん。

先日行った「かこさとしのひみつ展」きっかけで読んだのですが、展示の補足にもなる内容でした。 『からすのパン屋さん』で意識したことに「多様」とあって、だるまちゃんのお友達が自分と違う姿のお友達ばかりなのは多様性にもつながるのかな…と思ったけど、だいたいあっていたかな?

 

少年期の思い出で、おとうさんが色々買ってくれたけど、「ソウジャナイ!」と思ったり、トラブルが起きてしまったりして気まずかった話が出てくるのですが、『だるまちゃんとてんぐちゃん』で、だるまちゃんがてんぐちゃんに憧れて帽子が欲しい、靴が欲しいとだるまどん(だるまちゃんのお父さん)にねだると色々出してくれるけど「ちがうんだよなぁ」「そうじゃない!」となるのはこの体験からなんだなぁ…と思うなど。

そのほかにも取材は資料を読み込んで一番最後にする、戦争の話を書きたいと思っているなど作者の考えていることを知れる読書でした。

蟲毒のグルメ『ハンニバル』

前々から聞いていた話を確認するための読書でした。

ハンニバル〈上〉 (新潮文庫)

ハンニバル〈上〉 (新潮文庫)

 
ハンニバル〈下〉 (新潮文庫)

ハンニバル〈下〉 (新潮文庫)

 

読了。

上巻は捜査上での殺しを非難されるクラリスハンニバルに復讐を誓う男、そしてイタリアに潜伏するハンニバル…と前回より行動範囲広め。

そして下巻ではレクター博士が食べられてしまった妹の思い出と一緒にアメリカに帰ってきた!

博士の道具への拘りを感じ、ヘンテコな殺し方博覧会状態の地獄絵も楽しんだので楽しくなかった訳ではないけど事の顛末だけはソウジャナイ…という具合。

 

私が確認したかったのは、トマス・ハリスの小説でフェルメールの絵をすべて見たいと思っている人物がいるということでした。

ハンニバルの付き人同然だった用務員バーニーの望みが「世界中に散らばったフェルメールの絵を見る」が上巻で明かされたのですが、財産の出どころは下巻で明かされます。

昔、母に云われた「フェルメールの絵を全部見られるだけの財産」の話をやっと確認できたのですが…バーニーがレクター博士から貰ったものでは無く、別の所から「世界中のフェルメールを1回は見てまわるのに十分なぐらい」のお金を貰ったのが正しかった。出典を良く確認するの、大事。

他には、友人から聞いていた「レクター博士が機内にフォションの食べ物を持ち込む」も確認できました。映画だとDEAN & DELUCAだそうですね。

毒を以て毒を制する『羊たちの沈黙』

フェルメール展に向けての私なりのアップ。

羊たちの沈黙〈上〉 (新潮文庫)

羊たちの沈黙〈上〉 (新潮文庫)

 
羊たちの沈黙〈下〉 (新潮文庫)

羊たちの沈黙〈下〉 (新潮文庫)

 

読了。

連続殺人犯を捕まえるべく助言を貰いに行った先は収容されているカニバリズム精神科医ハンニバル・レクター…という映画にもなっているのでご存知の話。

小説で読むとハンニバルの魅力が更に増しますね。知的で品のある人物として書かれているけれども、意地悪だし、人を殺して料理して食べちゃうけど。

殺人鬼…通称:バッファロー・ビル側の描写も細かく、人の皮の処理や目的のために試行錯誤した様子もあり丁寧。かといって別に愛すべき殺人鬼ではないけど、エド・ゲインやテッド・バンディをモデルにした描写には殺人鬼について調べまくった過去の私がぐっとくるものがありました。

映画もまた見直したいですね。

 

さて、私が目的としてたフェルメールの記述は『羊たちの沈黙』にはなかったです。

どうやらそれは『ハンニバル』の方に書かれている様子。

ひとまず前提としてハンニバルの付き人同然であった用務員のバーニーがお金を受け取ったのはわかったので、ハンニバルも読みますよ…。

大越孝太郎と人形

先日の「容姿をほめる意味で人形のような…と使われるようになったのはいつ頃?」という話を頭の片隅に置いて生きています。

1911年が初出の童謡「人形」(私の人形は良い人形~♪って歌です)は人形の容姿をほめる歌なので、これ以降でもいけるのでは?というのが本日のひらめきです。

 

ちなみにこの歌は大越孝太郎『天国に結ぶ恋』で結合双生児の兄妹が歌っているシーンがあります。そんなわけで大越孝太郎と人形の話。

 

大越孝太郎は『人形考』という本に寄稿しているので、先日読んだ『人形論』にも名前がさらっと出てきますので、人形に関連が深く思えますが、意外にも大越孝太郎の漫画で人形が特に大きく取り上げられるのは単行本収録作品では2作品ほどです。

 

不思議庭園の魔物 (九竜COMICS)

不思議庭園の魔物 (九竜COMICS)

 

もう16年前の本なのか…。

それはともかくこちらに収録されている「人形姫」が人形を扱った作品です。

内容としては隔離政策がとられた病気の女性から生まれた男の子が人形と出会い、その後の運命を大きく狂わせたんだろうな~というのが想像できる話。

短編でページのほとんどは出会い、ともに時間を過ごすところに使われています。

…って書くとちょっとロマンティックですが、人形と相思相愛ではなく、一方的。

一方的というのもまた人形相手っぽいですね。

 

あとはAmazonでは購入不可で名高い(名高かった?)『猟奇刑事マルサイ』に「シリコンラバードーターズ」という作品があります。

こちらは連続ラブドール遺棄事件から発展する異常な愛の話です。

元々大越孝太郎の描く女性は人形のような整った容姿なのですが、作中のラブドールの可愛さも他の人物に負けず劣らず、他の人物に「今日のモデルよりいいですね」「なに、このジェラシー」と云われるなど魅力的に描かれています。

ちなみにこの漫画を描いたときに大越孝太郎ラブドールの実物を見たことがなかったそうです(のちにオリエント工業の人造乙女博覧会で実物をご覧になっています)。

 

人形考 (夜長姫叢書)

人形考 (夜長姫叢書)

 

読んだ記憶はあるのですが、大越孝太郎が少年時代に入院した時に綺麗なお姉さんが入院していて「人間やめて人形になればいいのに」と思った話が出てきたことしか覚えていないです。

 

 

TH no.41 トラウマティック・エロティクス (トーキングヘッズ叢書 第 41)

TH no.41 トラウマティック・エロティクス (トーキングヘッズ叢書 第 41)

 

人形作家の森馨との対談を収録。

『猟奇刑事マルサイ』に出てくる四肢切断の女性は四肢のない人形をイメージして描いている話が出てきます。

 

 

先日、沙村広明『ベアゲルター』が良すぎて、一番好きな!大越孝太郎はどうした!となったので、人形に絡めて書いてみました。

寡作、絶版…で読むチャンスは多くないのが欠点ですが、一番好きな漫画家です。

「人形」は「女の子」のものなのか:人形をめぐる近現代史

講義を聞くのは久々でした。

www.rikkyo.ac.jp

こちらを聞いてきました。もちろん、人形というテーマに惹かれてです。

 

講師の吉良智子さんは日本美術史の研究者…から出発して現在はジェンダー史の研究者とのことです。

 

メモを取ったので、メモを観ながら、思い出したことを書いてみます。

  • 明治以前の人形
  • 教育からやってきた
  • 戦争と人形
  • 戦後:女子は人形の消費者になるも…?
  • 質疑応答
  • 終わりに

 

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人形の話『人形論』

意を決して読みました。

人形論

人形論

 

読了。

 タイトル通り人形について論じた本。

「呪術」「愛玩」「鑑賞」を三頂点とし、物質性を頂点とした人形三角錐を提唱して人形界のある特定的な要素を絞りながら論じることを本編としています。

日本における人形の小史、自動人形、フィクションにおける人形など様々に語られているのですが、その中で私が躓いたのが創作の球体関節人形がゴシックドールと書かれて論じられている事でした。

申し訳ございません…私、この本だとゴシックドールに分類される人形と暮らしていますが、ゴシックドールって云い方をしたこと無いです…どこから出てきた言葉でしょうか…*1

この言葉が引っかかってしまい、ソウジャナイを抱えたまま最後の方まで読むと対象読書者が人形界の外部…人形にあまり興味が無かった人たちに著者の驚きや感動を控えめながらも伝達し、人形界と外部を何らかの形で繋げたいということをはっきり書かれていました。

つまり、人形を追いかけ、今では人形と同居している私は内部側の人であり、この本の対象読書者ではないのです。

しかし、仮に著者が名付けておいたものだとしたらそのことをはっきり書いておくべきだと思いますし、外部に向けて書いたものなら尚更。

私、将来「ヒキムスビさんちの人形ってゴシックドールっていうんですよね!」と云われたら、顔が一瞬だけ増田こうすけ作画になると思う…。

本になるということは、後の資料になる可能性があり、また、何かを論じるときの出典は断然紙の資料が強いです。こうした事実と違えども後に事実と認識されてしまうということを恐れているのですが…作家たちの言葉は活字になっているものも多少あるので、その心配は薄いと思いたいです。

 

 

色々気になったこと

私の守備範囲の人形についての章で気になったこと

「例えば誰が三浦悦子の人形を愛玩するだろうか」

→割といる…しかも三浦さんの人形はかなり人気です。

「ゴシックドールを自分の寝室に添わせることに若干の躊躇を覚える(略)ゴシックドールの鑑賞には〈私秘性〉の欠如がある」

→ひとり暮らしの時はりーぬを寝室に置いていました…しかもそれ幻想文学の東さんと中川多理さんのトークイベントで自慢した過去があります…。

「愛玩を拒否または無視し、一瞬闇や無機能性の裂け目を開いてくれるその種の人形」

→りーぬや、君はそんなにまがまがしいものだったのか!?

 

さすがにゴシックドール(本当、この云い方は慣れない)は愛玩を拒否している、は書きすぎたとおもったのか、注釈で「作家の個性の違いがあるので、もちろん、そう一概にいえないのは承知している。ただ概略的には普通いわれる愛玩の世界とはずいぶん異なるのは否定し難い」とありました。

 

自分が愛好する分野で期待値が高かったからがっかりしたのか、好きだから地雷原なのか、それとも愛好家の話がほとんどなくあえて避けたのか、取材がないようだがあえて人形についてだけ論じたのか…私が読むと細かいところばかりが気になって、上手く頭に入ってきませんでした。

 

*1:高橋英理が夜想(注釈をみたら2004年だから、ゴス特集か)に寄せた文章で「ゴシック・ドールの系譜」というものがありますが、そこからかな…でも私は使ったことがないよ…

人形は人間を映す存在でもある『青い目の人形と近代日本』

つい語りたくなる本に出会うことができるのは読書の楽しみであると思っている。

青い目の人形と近代日本―渋沢栄一とL.ギューリックの夢の行方

青い目の人形と近代日本―渋沢栄一とL.ギューリックの夢の行方

 

読了。

久しぶりに読みごたえがあって、色々思うところがったので、少し長めに参ります。

 

  • 大まかな感想
  • 友情人形について
  • 日本と人形
  • 当時の反応について
  • 最後に

 

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