好きな本というより、気になったことがあったので。
読了。
発達障害と診断されていない、されなかったけどその傾向が強い人たちについて。
当事者、当事者にして医師の方へのインタビューや集まりについてのレポートがあり、それぞれに生きにくさがあったり、上手く折り合いを付けたりできなかったりしているのがざっくりわかる。
冒頭でグレーゾーンの人を「グレさん」と名づけるのが本の中で効果的だったかというとそうは思えなかった。結局インタビューなどではグレーゾーンって書いているし、なんでそんな名付けられないといけないの…本の内容は悪くないと思うのだけど。
ただ、こうして読んでみると発達障害当と診断を受けた、受けない、診断がおりた、おりないにかかわらず、発達障害について意識してもう少し生きやすい生き方を探る指針になっているように思える。それは良いことでも悪いことでもなく、「そういうもの」という感じ。
文化によって精神的なものの診断基準は変わるという話が出てきたのですが、ペルーのうつ病患者は基本的に元気だけど、ラテン系にしては暗い、ペルーからみたら日本人はみんな鬱というのは笑ってしまいました。
どうしても生きにくさが大半を占めるこの本を読んでいて一番しんどかった話がある。
インタビューで自己評価低すぎて「私、ゴリラに似ているんです!」と云ってゴリラの真似をして笑いをとる20代の女性が出て来たのがつらかった。
ブスで受けを狙ったら、男性を中心にウケたとか、それ、同性にはウケなかったってことかな…と勘ぐってしまう。
何より、自分を下げることでおもしろがって貰えていると思わないとやっていけない人生でいいの…?と、とても厭な気持ちになった。たぶん、この女性はゴリラには似ていないし、本文にもそう書いてある。
そういうコミュニケーションの仕方は良くないよ、XXさんはブスじゃないよと言う人がいなかったり、そういう言葉には聞く耳を持たなかったりしたんだろうか。
なんとなく、余計な事を云って嫌われたりしたんじゃないかと思ってしまう。コミュ障というのは喋らなくて嫌われるというより、いらないこと事や相手が不快になる喋りすぎあることないことが嫌われると経験上感じている。
それもあって、とても厭な気持になると同時に、とても悲しい気持ちになるし、心のファブ5が「そんなこと云っちゃダメ!」と畳みかけるのですよ。