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本、人形、素体

人形と暮らす私が読んでみた『人形遊びの心理臨床』

対象読者ではないけど、人形の取り扱われ方は気になるから。

人形遊びの心理臨床 (箱庭療法学モノグラフ 第7巻)

人形遊びの心理臨床 (箱庭療法学モノグラフ 第7巻)

 

読了。

心理臨床の視点からの人形に関する論文。

人形に関しては「私」ではない「私」という視点と被弄性(著者の造語。人形の他人に弄ばれる性質)から論じています。

箱庭療法の研究に関連しているので、実際の箱庭療法での話なども出てきます。

 

対象読者ではない人形と暮らす私が読んだらどうだろう?と思いながらも意外と創作人形の話なども違和感はあまりなく取り入れていて好感度高い。

全編に渡ってベルメールの人形が出てくるので、直系にあたる創作の球体関節人形が取り上げられるのは当たり前と云えばそうかな。創作人形の作家の言葉が引用されているのだけど、出典は夜想の特集からでした。

現代の人形として取り上げられるのが映画『イノセンス』、映画『空気人形』、そして初音ミクというセレクトは納得。『イノセンス』は公開時に東京都美術館で関連して人形展が行われたこともあり、創作の球体関節人形の歴史があるとすれば欠かせないものではあるので(実際、この展示に影響を受けた作家は多い様子)。

『空気人形』は人形としての体しかない「私」として取り上げられ、初音ミクは人形としての体はないものの被弄性が高く、臨床の現場でも中高生からよく話題に上るため、人形と同じような「私」ではない「私」としての存在として扱われています。

 

人形自体の話では思い当たる言葉がいくつも出てくるので一部紹介。

人形専門の古美術商の青山惠一の言葉

「よくできた人形は、その表情を80パーセントぐらいのところで留め、あとの20パーセントを見る側にゆだねている」

この言葉を引用してた上で仁愛大学の教員:西村則昭の言葉にはさらに心あたりが出てくる。

「人形の表情には、その子を入手した人のイマジネーションを受け入れる余地が空けてある。そのイマジネーションによってはじめて、人形の表情は完成される。そうしてその人形は『お迎え』した人だけの子となる。しかし、時代が隔たり。もはや昔の人形には意識を託せなくなったとき、その表情は20パーセントの空虚を永遠に留め続けることになる」

 

…思わぬところで人形の表情が変わる説に近いものを観たので、なんだか嬉しくなりました。

人形に関してあまり思い入れがない人でも人形の表情が変わるというのは感じ取れるものらしく、友人が「手持ちのラブドールの写真をアップしている人がいるのだけど、最初の頃と表情が違って見える」と話してくれたことがありました。

写真の撮り方が上手くなったとか、光の当て方とか現実的な説は色々付けらるとはおもいますが、うちのりーぬも数年経って「最初はやばそうなコだったのに、今は幸せそうになった」と云われたこともあり、やはり表情は変わるものだな…と思っております。

 

他にも人形がいることで私が人として安定したこと、人形は自分を映すものというのも間違いではなさそうなことも説明が付きそうなこともあり、自分の考えていたこととそれほど離れていないことも好感度が高いことの一つかと思います。

対象外の読者なりに自己の再確認ができた本でした。

 

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『人形論』は今回の『人形遊びの心理臨床』より刊行は後です。