衛生ゴアグラインド

本、人形、素体

アジアウルルン納豆記『謎のアジア納豆』

納豆を食べているとき以外で納豆を旨いと思う人間でよかったと思う瞬間が来るとは思わなかった。

読了。

え?納豆って日本以外にもあるの?というつかみはOK!な本。

つかみ以上にアジアの山岳で~納豆と~出会ったーというアジアウルルン納豆記というべき膨大な旅の記録と実践は軽やかな語り口でページ数もなんのその、今年読んだこの本がスゴい食品部門暫定1位です!

 

日本にある植物で納豆を作ってみる回とか納豆を食するアジアと日本の東北や信州との比較など納豆でつながるのが楽しい。あと、水戸が納豆で有名なのは納豆ビジネスで成功したからだったのは、水戸出身の私も始めて知りました…なんだ、宇都宮の餃子みたいなもんか…水戸の納豆は明治からだけど。

 

それにしても納豆でつながる、広まっていく様子がとても楽しくて、みんな納豆で心がほぐれていく様子がいい。心が和めば世界は一つである…納豆のおかげで。

納豆を求めて様々な民族の皆様にお会いするのだけど、インパクトがあったのは、ミャンマーの元首狩り族の皆さん。首を狩っていて納豆を食べているので一派一絡げにされているのだけど、「首を狩っていて」「納豆を食べている」…そんな集合が世の中にあったんだ…とよくわからないけど感動した。

 

ここでみえてくるのは納豆はマイノリティの食べ物ということ。

そして、千利休が納豆汁を出していた話もあるのですが、これは身分関係なく…的な茶の湯の思想に通じる物もあるかな?などなんだか夢が広がります。

そしてこの本を読んでいる間に納豆食べました。食べたくなるじゃない、納豆の話ばかりされたらさぁ。

 

耽美腐敗臭『ネクロフィリア』

タイトルがド直球すぎてダメだったら怒るからな!と思いながら読んだけど、いい仕事でした。

ネクロフィリア

ネクロフィリア

 

読了。

死体愛好癖の男性による日記…という形を取った小説。

臭い、腐敗についての描写も手を抜かず、文章が装飾的で耽美な印象さえしてくる文章が癖になる。

小説で死体は書いても臭いって無かったことみたいな雑な仕事をされがちなだけあって、臭いもちゃんと書いて死体で文章が耽美というのは、良い仕事だし、主人公が古物商でそこそこ人と付き合いがあるっていうのも新鮮。

本当に良い仕事してますねー。

 

ちなみにこの本のフランス語版は澁澤龍彦の蔵書にあったそうです。「、はい…そうですよね…。

ピアノで1曲弾けるまで『ヤクザときどきピアノ』

年上が新しいことにチャレンジしていて、それが楽しそうって元気が出るね。 

ヤクザときどきピアノ

ヤクザときどきピアノ

 

読了。

ヤクザを取材する物書きである著者がピアノを習ってABBAのダンシング・クイーンを弾くまで。

歳を重ねてから学ぶ楽しさが語彙力豊富に語られるので、自分も何かを始めたくなるし、休んでいる趣味を復活させたいと思う。

どのくらいの期間で出来るようになるではなく「練習すれば出来る」という先生の教えもシンプル。もちろん、練習のコツは語られるけれども、著者の言葉が染みる。

「我々が世界に一つだけの花であるなら、才能も状況も全員が違う。その点を無視する自己啓発本は、本来、ただの気休めに過ぎない」

 

本当にそれ…私も趣味関係の練習は頑張ろう…。

 

大人になってからの習い事の教室選びのコツとも思えるような話もある。

「主役はあくまで俺であり、レッスンは俺が楽しくなくてはならない」…言葉が強いけど、大人になってから怒られたりしたくないし、先生怖いとか厭ですもんね…。

著者はそのうえで人間的にどんな人間が好きかを考えて教室探して出会ったのが、レイコ先生です。ABBAのダンシング・クイーンを弾きたいという著者に「練習すれば弾けない曲などありません」と言い切っていて、この先生は信頼できる…!となること請け合い。

 

最初のレッスンで著者が感じた「中学や高校の先生は、なぜレイコ先生のように言葉を尽くしてくれなかったのだろう」という気持ちや、その都度振り返る学校での音楽教育の事、純粋に音楽が楽しいと思えて練習に励み、レッスンに通う著者の様子からポジティブな気持ちになれます。

ピアノの話に時々ヤクザが混ざる一風変わったエッセイですが、読み心地はポジティブ!読者特典の発表会で著者がABBAのダンシング・クイーンを弾く様子が見られますが、表紙のコワモテの男性がピアノを弾いている姿と重なるし、緊張交じりながら明るくて、私も趣味関係の練習は頑張ろう…(2回目)ってなります。

2020年上半期ベスト10冊

今年も上半期ベストと下半期ベストを戦わせて年間ベストを作る気持ちで上半期ベスト10を作りました。

上半期154冊中、面白かった本は下記の通りです。

 

龍彦親王航海記:澁澤龍彦伝

龍彦親王航海記:澁澤龍彦伝

  • 作者:礒崎 純一
  • 発売日: 2019/10/31
  • メディア: 単行本
 

澁澤龍彦の伝記。澁澤龍彦は好きとか嫌いとかではなく、私の人生において澁澤龍彦的なものが必要なので。

 

ファシズムの教室: なぜ集団は暴走するのか
 

ファシズムについて楽しく学べる本。

人形も作っていた芸術家:ハンスベルメールに関連してファシズムの頃について調べるのも読書の上での趣味なので。

それは快感で癖になる『ファシズムの教室』 - 衛生ゴアグラインド

 

 

聖なるズー (集英社学芸単行本)

聖なるズー (集英社学芸単行本)

 

獣姦と動物性愛の違いが分かるようになる本。

そういう人もいるんだね!と不思議な穏やかな気持ちになる本。

動物に愛され動物を愛し『聖なるズー』 - 衛生ゴアグラインド

 

ヤクザときどきピアノ

ヤクザときどきピアノ

 

ヤクザについて書いているライターさんがピアノにチャレンジ!学ぶ楽しさを語彙力豊富に語ってくれるので何か始めたくなる。

ピアノの先生:レイコさんのキャラクターもいいなぁ。こういう先生に習いたかった。

 

男らしさの終焉

男らしさの終焉

 

男性が書いたジェンダーの本。古い男らしさを捨てればもっと人が幸せになる道があると思うよ!というのがユーモラスなイラストも交えて語ってくれる。

戦わなくてよい世界へ『男らしさの終焉』 - 衛生ゴアグラインド

 

翼と宝冠

翼と宝冠

  • 作者:山尾悠子
  • 発売日: 2020/03/10
  • メディア: 単行本
 

これは所有することで嬉しくなり、読めば素敵な気持ちになる本。

豆本で特殊装丁で流通も少ないので入れるか迷いましたが、好きなので。

 

パスタぎらい (新潮新書)

パスタぎらい (新潮新書)

 

アイデンティティとしての食。生肉の食べ方の話は官能を覚えるほどだった。

諸君、私は肉が好きだ『パスタぎらい』 - 衛生ゴアグラインド

 

台湾少女、洋裁に出会う――母とミシンの60年

台湾少女、洋裁に出会う――母とミシンの60年

  • 作者:鄭 鴻生
  • 発売日: 2016/10/11
  • メディア: 単行本
 

台湾の洋装で人生を切り開く働く女子のお話。写真を見るとみんな楽しそうだし、どんどんおしゃれになっていくのがいいな。

繕い裁ち、教える人生『台湾少女、洋裁に出会う』 - 衛生ゴアグラインド

 

読書術の本。珍しい図書館推奨派。巻末の劇薬本リストはブログ掲載時に大変お世話になりました。今後も世話になると思います。

趣味が合う人を探してみようか『わたしが知らないスゴ本は、 きっとあなたが読んでいる』 - 衛生ゴアグラインド

 

以上です。

上期のベストに入った小説が『翼と宝冠』のみなので、下期はもう少し小説でガツンとくるものがあれば嬉しいかな。

あとブログを更新する体力がないので、『龍彦親王航海記』と『ヤクザときどきピアノ』の感想が間に合わなかったのですが、今月中に書けたらいいな…。

猫が好き『猫と偶然』

好きな作家が好きな動物について語っていると嬉しいですね。

猫と偶然

猫と偶然

 

読了。

猫エッセイ…と見せかけて猫がほんの少ししか出てこないこともある。

SF映画で電送機にかけられ失敗し啼き声だけが響く猫の事だったり、焼き肉屋の猫が愛猫そっくりだったり、占いでトラがラッキーアイテムと云われたので「トラ猫を飼い始めたんですけど」と云ったら「充分、大正解」と返される話などとりとめがないけれども猫を感じることが出来てふふっとなる。

愛猫に小さくなってもらって映画『ミクロの決死圏』の如く潜航艇に乗って自分の体内を旅して涙となって出て来て欲しい…と独自の愛を熱く語る場面は…それは良くわからないけど、猫への愛が独特でその距離感が好きです…。

ちなみに体内巡りの後、最後は涙とともに出てきて欲しい、鼻水でもいいけど、猫アレルギーだから猫を吹っ飛ばしてしまわぬように…と云っていて、やはり程よい距離がある。

 

著者の飼っていた猫の名前が「なると」「ねごと」とまた可愛い。

「ねごと」は最初は「遠足」という名前にしたかったけど奥さん(看護師さん。猫好き)に反対されて説得の末「ねごと」になったとのこと。

奥さんの話もあり、今までの著作の中では幸せな話が多い気がする。

日本の人形の歴史と扱いについて『図説 日本の人形史』『人形歳時記』『日本人形史』

最近の人形×読書の成果報告です。

全て人形の吉徳(人形メーカー)に関連した本です。

図説 日本の人形史

図説 日本の人形史

  • メディア: 大型本
 

浮世絵や人形の吉徳に残る資料で観る日本の人形の歴史。

図版が中心ですが、人形に注目して浮世絵を集めているって意外と見掛けないので新鮮。人形問屋間の季節品で著者(11代目山田徳兵衛)の父が研究もされていたので羽子板の項目あり。

 

紙の人形なんか出てくると、「人形って立体だと勝手に思っていたけど、人の形って括りなんだな…」と思うなどした。

戦前のデパートの様子や竹久夢二の話、人形使節も付言されていて、ニューヨーク市長からお使いでやって来た等身大の人形ミスター&ミセスアメリカに対して日本も等身大の少年少女の人形・富士男と桜子を作ったのは初めて知りました。

 

あと戦前は吉徳協力の人形病院なるものがあり、退院の際は原則は引取だったとのこと。解説で「お迎え」という言葉が使われていたけど、これは普通にお出迎えの意味だね。他の図版で人形の販売や購入の様子の物を見返しても「(買い)求める」という表現でした。

他には戦争中の話で、フランス人形がトヨサカ人形という名前に変えられたり、人形に使う生麩糊(桐塑を練るのに使用)が入手困難で手に入れても食べてしまったという話題が気になった。

 

人形の吉徳資料室長による季節ごとに語る人形、時々昭和初期の浅草橋。

戦前に国防色が強い銃後人形なるものを売り出すも売れなかった事を振り返って「人形は夢を買うもの」と書いているのが印象に残った。リアルでなくてもいい、買うことができる夢なのだ。

人形が美術の世界に入るようになった話が一番興味深い。昭和2年の答礼人形の作成がきっかけとなった人形芸術運動があって、昭和11年に帝展入選、戦後人間国宝も出て来て…あたりかな。大規模な人形の美術展では昭和61年に近代美術館の工芸館での展示について触れられているけど、工芸かー。

この本自体は平成8年(1996年)に出ている。工芸ではなくもっと美術よりだと2004年の東京都現代美術館での球体関節人形展かな。それを思うと私が好きな人形は現代アートコンテンポラリーアートのあたりかなーと思うなどした。

 

吉徳の山田徳兵衛による日本の人形の歴史。昭和17年に刊行されたものに補足した昭和36年発行の本が元になっていて、一番力が入っている&頁が割かれているのは雛人形について。人形芸術運動の表記はないものの、それっぽい話はある。ちなみに青い目の人形関係の記載はなし。

ボリュームある内容を読みながら、相対的に自分が興味がある人形というのは人形の中でもかなり狭い所にあるんだな…と痛感するなどした。
私は動かせる、髪の毛がフワフワしている(素材にメリハリがある)などの要素が好きなのだけど、そういった人形は市松や昭和初期のあずま人形が近いのかなと。

 

もう少し私が好きな人形に近いのは関東大震災以降にフランス人形作りが東京の女学生の間で流行ったこと、後に婦人たちの間で新しい日本人形の創作が始まった…というあたりかな。この辺は竹久夢二も関わったそうだけど、竹久夢二は人形に興味があったぐらいしか書いていなかった。

意外と中原淳一に関する記述がないんだよねぇ(人形、作ってたよね?)。
あと、人形の専門家は男性が多く、アマチュアは女性が多いというのも、人形なるものが芸術か工芸かそれとも現代アートなのか評価が分かれる部分なのかな。

ただ人形作家の一部の芸術的意欲と作品は彫塑作品に近付いて来ているとのこと。そのことを「人形的なかわいらしさはぬぐい去られようとしている」と書かれている。彫塑と人形の線引きとして明確なことは著者は書いていない。

先に『人形歳時記』で「人形は夢を買う物」とあるので、愛せる要素が大切だったり、人形的なかわいらしさとあるので「かわいらしさ」はやはり要素として大切かなと。

 

人形とは…な話が中心になったけど、著者は「私が人形についてうっかりしたことを言うと、それがそのまま定説となってしまうことがある。よほど慎重にしないと、後世史家を誤らしむる結果になるよ」とはにかんだように語っていたとのこと。

影響力はあるけど、云っていることはそんなに正しくなかったり、変な事を書いて出版している人たちはこの言葉を聞いて反省して欲しさしか無い。本当に。

殉教も選択肢『クアトロ・ラガッツィ』

腰を据えて長編を読みました。

読了。

天正少年使節について…のはずが、上巻は日本におけるキリスト教の布教の歴史が大半。

下巻にて使節はついにローマに辿り着き、本来の目的を果たして帰国するも、少年(もう青年になっていたけど)たちを過酷な運命が待ち受けるのです。

 

室町時代の一般日本人たち

神父たちが相手にしていたのは主に庶民なのだけど、その中で日本によこしてほしい神父像というのが出てくる。端的に望まれたのは「天体・宇宙・気象について詳しい人」。

理由は、当時の日本人たちが神父さん相手に子ども科学電話相談的な質問を浴びせていたので、結果「日本人、好奇心旺盛だから、天体・宇宙・気象について詳しい人、よろしく頼む…」となったというもの。

 

他にも当時の神父たちがみた日本の姿の話が面白く、日本人の三大悪習は「偶像崇拝、男色、間引き」とのこと。「この平たい顔族はそれなりに文明があるのに、理解できない事をする…」みたいに思われていたんでしょうね。

もう少し「この異教徒の野蛮人め!」な視点ももちろんあって、ジョアン・ロドリゲス・ツーズによる日本人についての話で「神聖なものに対する帰依や崇拝を強く持ち、現世的な恵みを願うばかりでなく来世の救済もひたすら求めている」(要約)とあった。「5000兆円欲しい」と「来世で頑張る…」はこの頃からなんですね(大きく要約しすぎです)

 

魁!和洋折衷?

少年使節の少年たちが「シャツって良いもんだー。衛生的だし、防寒に優れている。着物と合わせたらもっと良いんじゃ無い?」という会話をしている場面が出てくる。

「そのファッションが流行るのは200年後だよ…書生スタイルだよ…」となりました。ちょっと流行を先取りしすぎですね。

翻訳の関係かな?話の中で「胸当て(袖のない胴着のようなもの)」というのが何をさすのかわからなかった。プルポワン(英語だとタブレット)かな?でも、袖あるしなぁ…何か別の本でわかることもあるかもしれないですね。

 

これは『愛のむきだし』である

肝心の天正少年使節の皆さんが出てくるのが上巻の最後の方…『愛のむきだし』かよ!となりました。あの映画、上映時間も長いんですけど、タイトル出てくるまでに1時間ぐらいかかるんですよね…。

そもそも執筆の切っ掛けが著者の「ミケランジェロについてわかっても自分は西洋美術を理解する東洋の女でしかない」という所から始まっている。

作中では「少年たちがルネサンス文化に触れた可能性を考えると胸熱」「秀吉のせいで女性たちが犠牲になっているんだよ!」(どちらも要約、超約)など、著者の萌えや情念が時々程よく溢れてくるので、そういう意味でも愛のむきだし

 

そんな愛のむきだし上下巻1000頁もの旅の最後は最後が穴吊りの拷問での殉教で終わるのだけど、タイトルも生きてくるこのシーンは泣けてしまう。

 

ネットにて遠藤周作『沈黙』で、殉教して行く様子をみんなどうかしていると読書感想文に書いたら先生から助言を貰った話を前に読んだけど、この本を読むとちょっとだけ日本のキリシタンたちが殉教を選ぶ理由がわかったような気持ちになる。

お亡くなりになってしまうとはいえ人権を勝ち取る唯一の手段であったり、選択肢がない中で選びとった大切なもの…という部分もあったんだろうね…と私は解釈している。

中高生の時のテスト問題に出て来た文章で「踏み絵をしても心の中で信仰があれば踏んでも大丈夫!と思わない人が考案したんだろうし、効率よく炙り出せた」って内容のものがあったけど、余りにも当時の人間の感覚への説明がないよな…と20年ほどの時を経て思うなどしました。