衛生ゴアグラインド

本、人形、素体

若くて病んでいたあの頃『17歳という病』

好きな作家の文章を読む楽しみ。

17歳という病―その鬱屈と精神病理 (文春新書)

17歳という病―その鬱屈と精神病理 (文春新書)

 

読了。

著者による偏った若者論。

ひきこもりについてのところで学校をさぼった話を「こんなに楽しいことはない」「孤独の喜びを味わった」と書いていて、私の療養生活が楽しかったのも納得した(私はフリーの仕事と家事はしていたけど)。

若者特有の話で著者が若かったころにツェッペリンの1枚目のアルバムと2枚目のアルバムのどちらが好きかで人間性を判断していた話が出てきたけど、結局、いつの時代も若者は傲慢で一方的な踏み絵がまかり通る年代で、踏み絵は年代や集団、その時の若者に受けるものに変わるだけなんだなと思うなどした。ラルクorグレイ、ディルアングレイorピエロ、加藤まさをor高畠華宵松本かつぢor中原淳一…。

 

今回は著者:春日武彦の言葉へのこだわりがみえる回。「わんぱく」という言葉が大嫌い、父から差し出される葡萄パンの干し葡萄の多いところを「ああ、干し葡萄の鉱脈の鉱脈がある」と心の中で思っていたエピソードを読んでこの著者の文章が好きな理由を感じた。そう、言葉。

他にもゆらぎ岩が、今はもうないという文章に狼狽したとあったけど、岡上淑子の写真で紹介されていた作品が「所在不明」ってあって、なんだか恐怖に似た哀しさを感じたのを思い出した。あの気持ちが狼狽に当てはまるのか…。

出版順ではこの本より後の『「いかがわしさ」の心理療法』で語彙が貧弱故に言葉で言い表せぬ事象が増え、結果、社会から見れば歪な存在となっていくという話をしていたけれども、それのもう少し詳しいバージョンでもあるかな。

リアル17歳の時に読んでおきたかった気がするけど、斜に構えたダメな大人になった今だから面白いのかもしれないな…と時間が巻き戻せないなりに想っておきます。