衛生ゴアグラインド

人形を愛で、本を読み、肉を食べる

人形の話『人形論』

意を決して読みました。

人形論

人形論

 

読了。

 タイトル通り人形について論じた本。

「呪術」「愛玩」「鑑賞」を三頂点とし、物質性を頂点とした人形三角錐を提唱して人形界のある特定的な要素を絞りながら論じることを本編としています。

日本における人形の小史、自動人形、フィクションにおける人形など様々に語られているのですが、その中で私が躓いたのが創作の球体関節人形がゴシックドールと書かれて論じられている事でした。

申し訳ございません…私、この本だとゴシックドールに分類される人形と暮らしていますが、ゴシックドールって云い方をしたこと無いです…どこから出てきた言葉でしょうか…*1

この言葉が引っかかってしまい、ソウジャナイを抱えたまま最後の方まで読むと対象読書者が人形界の外部…人形にあまり興味が無かった人たちに著者の驚きや感動を控えめながらも伝達し、人形界と外部を何らかの形で繋げたいということをはっきり書かれていました。

つまり、人形を追いかけ、今では人形と同居している私は内部側の人であり、この本の対象読書者ではないのです。

しかし、仮に著者が名付けておいたものだとしたらそのことをはっきり書いておくべきだと思いますし、外部に向けて書いたものなら尚更。

私、将来「ヒキムスビさんちの人形ってゴシックドールっていうんですよね!」と云われたら、顔が一瞬だけ増田こうすけ作画になると思う…。

本になるということは、後の資料になる可能性があり、また、何かを論じるときの出典は断然紙の資料が強いです。こうした事実と違えども後に事実と認識されてしまうということを恐れているのですが…作家たちの言葉は活字になっているものも多少あるので、その心配は薄いと思いたいです。

 

 

色々気になったこと

私の守備範囲の人形についての章で気になったこと

「例えば誰が三浦悦子の人形を愛玩するだろうか」

→割といる…しかも三浦さんの人形はかなり人気です。

「ゴシックドールを自分の寝室に添わせることに若干の躊躇を覚える(略)ゴシックドールの鑑賞には〈私秘性〉の欠如がある」

→ひとり暮らしの時はりーぬを寝室に置いていました…しかもそれ幻想文学の東さんと中川多理さんのトークイベントで自慢した過去があります…。

「愛玩を拒否または無視し、一瞬闇や無機能性の裂け目を開いてくれるその種の人形」

→りーぬや、君はそんなにまがまがしいものだったのか!?

 

さすがにゴシックドール(本当、この云い方は慣れない)は愛玩を拒否している、は書きすぎたとおもったのか、注釈で「作家の個性の違いがあるので、もちろん、そう一概にいえないのは承知している。ただ概略的には普通いわれる愛玩の世界とはずいぶん異なるのは否定し難い」とありました。

 

自分が愛好する分野で期待値が高かったからがっかりしたのか、好きだから地雷原なのか、それとも愛好家の話がほとんどなくあえて避けたのか、取材がないようだがあえて人形についてだけ論じたのか…私が読むと細かいところばかりが気になって、上手く頭に入ってきませんでした。

 

*1:高橋英理が夜想(注釈をみたら2004年だから、ゴス特集か)に寄せた文章で「ゴシック・ドールの系譜」というものがありますが、そこからかな…でも私は使ったことがないよ…