衛生ゴアグラインド

本、人形、素体

生まれて不遇『裁かれる大正の女たち』

読み応えある本が知れるのが嬉しい。

裁かれる大正の女たち―「風俗潰乱」という名の弾圧 (中公新書)

裁かれる大正の女たち―「風俗潰乱」という名の弾圧 (中公新書)

 

読了。

大正時代の事件や新聞の投書、身の上相談からみる女性が如何に差別されていたかということ。自分にとって都合が悪い、理解できない女(特に若い女)はとにかく叩きたいんだなぁ…というもの。100年ほど前とはいえ、現代に通じる話もあり根深さを感じずにはいられない。

結婚したければ男性は性病検査をしろ!っていったら女尊男卑とされた話が出て来たけど、流行だった近年の梅毒も女性の検査を促す方向ばかりだったのを思い出すなど。大正の男性の性病にかかっていない自信はなんなんだろ?

他には性に関連しては身の上相談で、子供が沢山出来て困っている貧困家庭の女性の投書への返答が「避妊して生活が楽になっても国が滅んだらどうする。避妊を考えるなど間違い」というものだった。アフターピルを安価で解禁したくない考えってこれもありそう…と頭抱えた。

 

一方で、恋愛に関しては大正に比べると自由度が上がった気がする。伯父からの手紙を恋人からの手紙と勘違いした教師が女子生徒を詰めまくってそのコが発狂してしまった話が出てきたり、大正時代の新聞記事で好きでもない人と結婚したくなくて、逃げて結局捕まった女性の話が「まずまず目出度く結婚式をすませたり」と書かれていてぞっとした。人の気持ちは関係なしだぜ!…っていうのはあんまり聞かないから(あったらごめんね。わからなかったらそれは私が世間知らずなだけです)。

 

大正というのは私が大学の時に多少調べたことがある時代なのだけど、当時の教育…そもそも女学校に行ける人間は少数で、高等女学校令も良妻賢母教育なので女性が学べることに制限をかける酷い文章なのを改めてこの本で知る。

私が大学で女学生の事を調べていた頃にどう思ったかを覚えていない。本当に必要なことしか調べず、こうした歴史背景の事はおざなりだったのかも。

ただ、私の思想もだいぶ変わったんだろうなぁとは思う。生まれ持って変えられないもので不当な差別があればそれは怒りを感じるから。

一方で大正・昭和初期の女学生時代を数少ない幸福な時間のように捉えていたのはあながち間違いではないかもしれない。

結婚したらどんなに別れたい不遇なことがあっても、新聞の身の上相談では「ご辛抱なさいまし」と云われるだけなんだから。

綺麗に終わるのは難しくとも『特殊清掃会社』

ミニマリズムについての本が片付けへのモチベーションが上がるといったら、友人から「私はゴミ屋敷とか特殊清掃が好き!」と云われたので。 

読了。

特殊清掃に携わる方による現場の話。こういう本を読むと掃除へのやる気がでますね…。

さすがにゴミ屋敷レベルの散らかし方はしたことがないのですが、今後も計画性を持って日々のゴミを捨ててため込まない…と誓うなど。

割腹自殺者の部屋の話が出て来るのだけど、一度で死にきれず包丁を変えて二度目でお亡くなり…という文章をみてやっぱり切腹はなかなかしねないのだな…となった。

そしてご遺体についての話も当然出てきました。畳に染み込んだ体液で皮膚が大変なことに!となったり、死臭というのはたとえようもないもので、大変強いとありました。

フィクションで死体の描写が雑だと話に入っていけないマンがさらに強化されてしまった…。

2019上半期ベスト10冊

記憶の新しい範囲の方が圧倒的有利な気がするので、忘れないために、そして上半期ベストと下半期ベストを戦わせて年間ベストを作る気持ちで上半期ベスト10を作りました。

上半期183冊中、面白かった本は下記の通りです。読んだ順に書きました。

 

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好きな作家にサインを頂く『「サイコパスの手帖」(洋泉社)刊行記念 春日武彦先生&平山夢明先生トーク&サイン会』

昨日6/28は『「サイコパスの手帖」(洋泉社)刊行記念 春日武彦先生&平山夢明先生トーク&サイン会』に参加しました。

現役作家で文章が好きな作家No.1の春日武彦先生と現役作家でエグみとエンターテイメントの両立でNo.1の平山夢明先生ですので、楽しみにしていました。

特に春日先生は初めてお目にかかるので、著作が好きであることなどをお伝えしたところ、ニコニコ笑顔で新刊の予定を教えてくださり、更に好きになりました。

平山先生はサービス精神旺盛で、サイン会の最中でも会場に向けてトークを展開していて、すでにトークイベントが始まっているかのような気持ち。

今回はサイン会→トークイベントという流れでトークは聞いた人のお楽しみ!というほどに過激な話題が盛りだくさんでした。

 

端的にレポートしますと

・映画『カニバ』から某S川氏の話(春日先生は目撃したことがある、平山先生は過去に交流あり)

・春日先生は変態的なものが治療できるという考え方に否定的

・トラウマ映画は2人共にあまり被らず 春日→真面目 平山→キチガイ で別れた。

・平山先生「真面目な人が悪いこともしていないのに、糸くずみたいになるのが好き。自分の中に幸せが無いからそういうのを見ると安心するし、逆に幸せな話はドキドキする」(意訳)と語る。

・海外の話。平山先生は米国の愛国心が異様に強すぎるホテルに行った話、春日先生は

 グアテマラ寄生虫由来の失明の患者さん相手に視力検査をした話。

・平山先生が出会ったサイコパスっぽい編集者の話。

・お客さんより質問「今まで出会った一番サイコパスな人は?」

平山先生→「金に汚いやつ。俺たちへの給料が3,4ヶ月に1回!春、夏、秋、冬の各1回って、なにこれ?季(節)給?」

春日先生→全員犯罪者の閉鎖病棟にいた電話ストーカーの男。とにかくしつこかった。

・お客さんから「多頭飼いはおかしいという話がありましたが、私は猫7匹飼っています。気が狂わないようにするにはどうしたらいいでしょう?」という質問に対して、春日が「見分けがつけば大丈夫」と返答。

・映画『ダイナー』には平山先生はでていない。

 

他にも色々ありましたが、だいたいそんな感じ。主に平山先生が喋って、春日先生はニコニコ頷いたり、時々ぼそっとツッコミを入れたり…と云う感じでした。

よい日だった…。

 

サイコパスの手帖

サイコパスの手帖

 

たぶん、今年の面白かった本に入れる。

運が悪かった『犯罪』

母に薦められたシーラッハ。今度はデビュー作の方を読むなど。

犯罪 (創元推理文庫)

犯罪 (創元推理文庫)

 

読了。

犯罪にまつわる短編集。自分から地獄の釜の蓋を開けるような奴もいれば、運が悪かったとしかいいようがない事もある。…というのは序文に出て来た裁判官だったおじの手紙「物事は込み入っていることが多い罪もそういうもののひとつだ」に集約されている。

この手紙、厳密には遺書に分類されそうなもので、作者の伯父は戦争で左腕と右手を無くすも裁判官として活躍、しかし最後は散弾銃で頭を吹っ飛ばして自殺というものだった。本編も良くわからない殺され方をしたり、追い詰められて犯罪を犯す人が出てくる。

読み終えると運良く犯罪を犯さずような事態に陥らずに済んでいるというだけな気がしてくる。序文でも「私たちは薄い氷の上で踊っているのです」と書き出し、氷が割れた瞬間に作者の興味があることを書いているのですが、春日武彦の精神の病気は運が悪かったと云っていたのを思い出す。

この短編集で一番好きなのは人が死なない「棘」という話。

古典美術で出てくるモチーフである「棘を抜く少年」にとりつかれて他人の靴に画鋲を仕込んで棘を抜く人を量産していた男が出てくるのだけど、今までに読んだことがない変態で、ぐっときた。 こういうのでいいんだよ…どういうのだよっていわれそうだけど、殺人や性での変態は目新しいものに出会えないので、いっそ殺しも性もあんまり絡んでいなさそうなものの方が新鮮というそういう意味です。

一家族を透明にする『消された一家』

海外のシリアルキラーコレクターが「海外の殺人鬼だから集めることができた」と云っていたけど、私もその気持ちはよくわかる。 

消された一家―北九州・連続監禁殺人事件 (新潮文庫)

消された一家―北九州・連続監禁殺人事件 (新潮文庫)

 

読了。

北九州連続監禁殺人事件のルポタージュ。

一家を洗脳、人体に電気を通す、格付けによる虐待の集中、排泄の回数制限、リラックスできない姿勢を取らせる、排泄物を食べさせる、殺させて人体解体、入念な死体処理…人間の尊厳を地面に強く叩きつけてぶっ壊す所業に恐怖を覚える。

フィクションは平気だけど、現実だとやっぱりしんどいですね…。

今回読んだ文庫版だとDV被害者であり減刑された被告の手紙を収録。他のDV被害者と交流を持つなど刑務所の中で人生をやり直している様子だけが数少ない明るい話になっている。

 

騙されないぞと構えるよりも騙されると思って身構えること、離婚したら結婚しようはだいたい嘘であること、暴力を振るわれたら逃げることは人生において覚えておきたい事だなぁ…としみじみする。

DVを受けた女子って意外と身近でいるけど、正常な判断を失うし、私はDVではないものの、ハラスメント職場ばかりいたので、正常な判断力はなかったですね…。

若くて病んでいたあの頃『17歳という病』

好きな作家の文章を読む楽しみ。

17歳という病―その鬱屈と精神病理 (文春新書)

17歳という病―その鬱屈と精神病理 (文春新書)

 

読了。

著者による偏った若者論。

ひきこもりについてのところで学校をさぼった話を「こんなに楽しいことはない」「孤独の喜びを味わった」と書いていて、私の療養生活が楽しかったのも納得した(私はフリーの仕事と家事はしていたけど)。

若者特有の話で著者が若かったころにツェッペリンの1枚目のアルバムと2枚目のアルバムのどちらが好きかで人間性を判断していた話が出てきたけど、結局、いつの時代も若者は傲慢で一方的な踏み絵がまかり通る年代で、踏み絵は年代や集団、その時の若者に受けるものに変わるだけなんだなと思うなどした。ラルクorグレイ、ディルアングレイorピエロ、加藤まさをor高畠華宵松本かつぢor中原淳一…。

 

今回は著者:春日武彦の言葉へのこだわりがみえる回。「わんぱく」という言葉が大嫌い、父から差し出される葡萄パンの干し葡萄の多いところを「ああ、干し葡萄の鉱脈の鉱脈がある」と心の中で思っていたエピソードを読んでこの著者の文章が好きな理由を感じた。そう、言葉。

他にもゆらぎ岩が、今はもうないという文章に狼狽したとあったけど、岡上淑子の写真で紹介されていた作品が「所在不明」ってあって、なんだか恐怖に似た哀しさを感じたのを思い出した。あの気持ちが狼狽に当てはまるのか…。

出版順ではこの本より後の『「いかがわしさ」の心理療法』で語彙が貧弱故に言葉で言い表せぬ事象が増え、結果、社会から見れば歪な存在となっていくという話をしていたけれども、それのもう少し詳しいバージョンでもあるかな。

リアル17歳の時に読んでおきたかった気がするけど、斜に構えたダメな大人になった今だから面白いのかもしれないな…と時間が巻き戻せないなりに想っておきます。