衛生ゴアグラインド

本、人形、素体

信じられないようなものを少年は見てきた『ペインティッド・バード』

長年寝かせていた本を満を持して読みました。

ペインティッド・バード (東欧の想像力)

ペインティッド・バード (東欧の想像力)

 

読了。

第二次世界大戦中の東欧にて親とはぐれてしまった少年が観たこの世の地獄。

グロの文脈で語られる事もある本だし、戦争物でグロいのは当たり前かと思ったけど、戦時下の狂気に久しぶりに揺さぶられるような作品だった。

暴力は標準装備…目玉をくりぬかれる下男、女たちのリンチで瓶を挿入されて腹を思いっ切り踏まれる女、ネズミに生きたまま喰われて白骨化する男、家族の協力も得て獣姦に走る女…これらが子供が観た戦争の風景として描かれていて、あとがきによると実際スキャンダラスな扱いの本だったとのこと。

また、これらの残酷描写は作者の母国の友人には牧歌的と捕らえられたそうで、見たことのない人間にしかわからぬ地獄がある様子。

そしてこの本を書いた目的は「恐怖を映し出してそれを祓うため」とのことで、グロいのが書きたい本とは一線を画すそんな印象。

 

平山夢明の全身複雑骨折

平山夢明の全身複雑骨折

 

ある村が集団で虐殺&強姦されるシーン、どっかで読んだと思ったら平山夢明『全身複雑骨折』に出て来たおばあちゃんの戦争体験だった。

ああいうやり口なのか…と恐ろしい気持ちになるなど。

人形が生殖と出会う世界『〈妊婦〉アート論』

読みたかった本が読める喜び。

〈妊婦〉アート論

〈妊婦〉アート論

 

読了。

妊娠したラブドールの写真から始まる妊娠や妊婦のアートや文芸での扱われ方など。

マタニティフォトの話があるのですが、お腹に絵を描くものがあるのを初めて知りましたが、心が汚れているので過去に見た非人道的なものを扱う創作物を思い出してえーっと…と戸惑うなど。

そして妊娠するアンドロイドの話があるからか、人形の話が割と出てくる。切り口のせいか人形の話題も新鮮だったり、観たことがないものもあって掘り出し物感。

 

胎盤人形の章で胎児の球体関節人形が紹介されているのが掘り出し物。

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URLがあったので、スクリーンショットを取りました。
木でできている!

www.josephinum.ac.at

こちらで閲覧可能。

そしてそれが日本に伝わって模倣品で作られたとされているのがこちら

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二重関節になっているし、こちらも木製。

 

hikimusubi.hatenablog.com

『〈妊婦〉アート論』の第4章『あるべき』女児用人形とは何か、の内容をより発展させた講義を聞いたときの感想。

この時の私の感想で妊娠と人形だとハンス・ベルメールの話を思い出すと書いたのですが、『〈妊婦〉アート論』にはベルメールは特に取り上げられていませんでした。

もちろんなくてもいいんだけど、友人が(ベルメールの人形を)「(当時のアンチテーゼとして作られて)労働しないし、生殖しない」と説明してくれたのが私の中でいつまでも強く残っているのだな…と思うなど。

久々のメディカルフェチ

連休中にトレヴァー・ブラウンの個展に行って限定販売していた画集を買ったので、久々にりーぬにメディカルフェチな格好をさせました。

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人形+包帯もトレヴァー・ブラウンの作品でよく出てきますが、今回の画集はレザーやラバーっぽい感じでした。

 

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トレヴァー・ブラウンの女子みたいな服も作りたいけど、しばらく服を作っていないので、いずれいずれで後回しになっています…。

元々、包帯も型紙の原型を取るために買ってきたものなのですが、手作業がご無沙汰です。

しょうせつのほうそくがみだれる『ロマン』

長年読むのをためらっていた本を読みました。

ロマン〈1〉 (文学の冒険)

ロマン〈1〉 (文学の冒険)

 
ロマン〈2〉 (文学の冒険)

ロマン〈2〉 (文学の冒険)

 

読了。長かった…。

都会で弁護士やっていた主人公のロマンがロシアの田舎に帰ってきた!そして田舎で人に会った、飲んだ、狩りをしたの牧歌的な描写が400ページほど続く…狼と戦うあたりから話が動くけど醍醐味は2の後半からで、主人公ロマンと運命の相手タチヤーナの結婚式からの突然の津山事件的な何かになる。

噂に聞いていた終盤は確かに変なものを読んでしまった…という気持ちになるけど、コピペによる荒らしみたいで昔のインターネットでこんなの観たぞ…という間違った感想が出てくる。

コピペかと思って読み飛ばそうとすると変なことしているので、結局読んでしまったし、よくもまぁ、思いつく…と思ったけど殺戮は凶器は1つなのでだれるかな。

 

つくづくソローキンと云う人は何かを表現したくて小説選んだんだろうな…と思う。デザイナーから始まって小説書いたり、映画撮ったりしているので、だいたいあっていそう。

面白い面白くないでいったら、ロシア文学に詳しくないので別に面白くはない(!)んだけど、なんだか自分の中で一山こえた感。これで私は『ロマン』を読んだ人間になりました。

生きていけるかな『しょぼい起業で生きていく』

手に取ってみた。 

しょぼい起業で生きていく

しょぼい起業で生きていく

 

読了。

初期投資控えめ、企画書なしの起業とその例。

自分の特技や人の繋がりから何が出来るか考えてみること、バイトしながらしょぼい起業して生きていくのもありとあったので、私がやろうとしている事はこれかな…という気持ちになった。

朝は起きられないし、満員電車に乗りたくないし、ハラスメント体質の人たちと上手くやっていけないし、技術で働こうとした会社はヤベェことしていたので、辞めて療養生活中…なんですけど、技術を活かして細々と生きています。

参考にできることもありそうなので、技術職の方は続けたいな。

 

著者のことは全く知らないと思ったら、生活保護のボランティアでみた人たちを紹介する記事で観たことがありました。あ、あの方だったんですね…!という気持ち。

 

 

ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法

ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法

 

この著者との対談もあった。

やっぱり親和性があるのね。

著者は収入はあるので厳密にはニートではないにせよ、辛くないし死なないこんな生き方もあるよ、という感じ。ニートにならないにせよ、こういうゆるい生き方が選択肢があると死なずに済むよという感じ。読み物としてもゆるく楽しいです。

それでよくない『不幸になりたがる人たち』

たまに好きな作家の本を読むと安心するけど、内容は安心できない。

自虐指向と破滅願望 不幸になりたがる人たち (文春新書)

自虐指向と破滅願望 不幸になりたがる人たち (文春新書)

 

読了。

変人コレクションの趣きがあるエッセイ。宗教上の理由で虎に食べられて死ぬはずが、虎の檻に入れなかったので、熊の檻に飛び降り自殺し、子熊に食われた女性の話が一番インパクトあった。それでいいのかよ!

他にも葬式が出せなくて床下に死体を隠していた人、死体と暮らしていた人が紹介されていたのだけど、「遺体は1週間で黒くなりはじめる」という情報を得た。この言葉は事件後に家族が週刊誌に対して語ったインタビューの中に出てくるのだけど、父の死体を放置しちゃったけど、死体の変化にビビったから後から亡くなった母はちゃんと死亡届出したなど、え?そこ?みたいな話が出てくる。

もはや正常?な間隔がないのである。

 

他には著者の少年時代の話で不幸な事ばかり選択する同級生の話が出て来るのだけど、同じように不幸な選択ばかりしてしまう旧友を思い出した。共通の友人が「あのコは自ら不幸を呼び寄せている」とまで評していたので、ダブる。

その旧友から「大切な試験の前に自転車が故障しちゃって行けなかったんだよね」なんて話も聞いているし、友人伝手に「あのコ、最近はそこそこ遊んでいるっぽいんだけど、性病になったみたいでさ~」なんて話も聞いた。

著者が不幸体質の同級生に会ったときに酷い怪我の痕跡などあると様子が思い浮かんで不安な気持ちになると書いていたけど、私も旧友がそのような目に遭うのが自然と想像がついてしまう。

 

著者は精神科医なのだけど、患者の幻聴というのはバリエーションもあまりなく、そして薬で治せるという話もしていたので、病んで幻聴があっても治るものだと覚えておこう。それ以前に今後は病まずに済ませたい。

人形と暮らす私が読んでみた『人形遊びの心理臨床』

対象読者ではないけど、人形の取り扱われ方は気になるから。

人形遊びの心理臨床 (箱庭療法学モノグラフ 第7巻)

人形遊びの心理臨床 (箱庭療法学モノグラフ 第7巻)

 

読了。

心理臨床の視点からの人形に関する論文。

人形に関しては「私」ではない「私」という視点と被弄性(著者の造語。人形の他人に弄ばれる性質)から論じています。

箱庭療法の研究に関連しているので、実際の箱庭療法での話なども出てきます。

 

対象読者ではない人形と暮らす私が読んだらどうだろう?と思いながらも意外と創作人形の話なども違和感はあまりなく取り入れていて好感度高い。

全編に渡ってベルメールの人形が出てくるので、直系にあたる創作の球体関節人形が取り上げられるのは当たり前と云えばそうかな。創作人形の作家の言葉が引用されているのだけど、出典は夜想の特集からでした。

現代の人形として取り上げられるのが映画『イノセンス』、映画『空気人形』、そして初音ミクというセレクトは納得。『イノセンス』は公開時に東京都美術館で関連して人形展が行われたこともあり、創作の球体関節人形の歴史があるとすれば欠かせないものではあるので(実際、この展示に影響を受けた作家は多い様子)。

『空気人形』は人形としての体しかない「私」として取り上げられ、初音ミクは人形としての体はないものの被弄性が高く、臨床の現場でも中高生からよく話題に上るため、人形と同じような「私」ではない「私」としての存在として扱われています。

 

人形自体の話では思い当たる言葉がいくつも出てくるので一部紹介。

人形専門の古美術商の青山惠一の言葉

「よくできた人形は、その表情を80パーセントぐらいのところで留め、あとの20パーセントを見る側にゆだねている」

この言葉を引用してた上で仁愛大学の教員:西村則昭の言葉にはさらに心あたりが出てくる。

「人形の表情には、その子を入手した人のイマジネーションを受け入れる余地が空けてある。そのイマジネーションによってはじめて、人形の表情は完成される。そうしてその人形は『お迎え』した人だけの子となる。しかし、時代が隔たり。もはや昔の人形には意識を託せなくなったとき、その表情は20パーセントの空虚を永遠に留め続けることになる」

 

…思わぬところで人形の表情が変わる説に近いものを観たので、なんだか嬉しくなりました。

人形に関してあまり思い入れがない人でも人形の表情が変わるというのは感じ取れるものらしく、友人が「手持ちのラブドールの写真をアップしている人がいるのだけど、最初の頃と表情が違って見える」と話してくれたことがありました。

写真の撮り方が上手くなったとか、光の当て方とか現実的な説は色々付けらるとはおもいますが、うちのりーぬも数年経って「最初はやばそうなコだったのに、今は幸せそうになった」と云われたこともあり、やはり表情は変わるものだな…と思っております。

 

他にも人形がいることで私が人として安定したこと、人形は自分を映すものというのも間違いではなさそうなことも説明が付きそうなこともあり、自分の考えていたこととそれほど離れていないことも好感度が高いことの一つかと思います。

対象外の読者なりに自己の再確認ができた本でした。

 

関連

hikimusubi.hatenablog.com

『人形論』は今回の『人形遊びの心理臨床』より刊行は後です。