指先の憂鬱

手荒れが酷くなってきて、指先に水泡が出来てしまった。いくつかあるので、複眼か蓮コラみたいで気味が悪くかなり落ち込む。

近所に皮膚科がないので、隣町の皮膚科で診察&薬は処方はしてもらったけど、治るまでなかなか憂鬱になりそう。

家にいるときはできるだけ薄手の綿の手袋をしているのですが、スマホなど使いにくく、私のパソコンはノートなのでネットと疎遠になりがちです。

早く治りますように。

 

私が薄給だった頃

植民地の奴隷かな?という呟きとともに人様の手取りの額面がTwitterに流れてきたので、昔の話など。

かつて私もそんな金額で生活していたことがあるのだけど、さすがにそれだけじゃ生活に余裕がないので様々な副業に手を出して糊口をしのいでいた。

自炊はしていたし、人づきあいはさけた(そもそも友人は少ないけど)、好きだった洋服はいろいろ諦めて新作をチェックするのは避けた。

それでもなかなか貯金ができない。本当に毎日ギリギリで「安楽死代も貯まらないな」と思った。当時の私には希死念慮があった。

一度ばかり「正直、生活が苦しい」と上司に漏らしたところ「それは自己責任」と取り合ってもらえず、諦めてしまった。自信もなければ金もないので薄給でも働くしかなかった。そのうちに手取りの給与が生活保護の支給額とあまり変わらないことを知った。

毎日、仕事で(今にして思えば)ハラスメントばかり、週5日働いても本業は生活保護の支給額と大差はなく、唯一のいいところは定時で帰れるところしかなかった。終盤は定時で帰れても嬉しくなくなった。どうせ明日にはこの楽しくない仕事に戻ってこなくちゃいけない。寝る前から「家に帰りたい」と思うようになった。もう家に帰っているのに。

 

いつのころからか、月曜日が本格的にしんどくなってきた。

土曜日は副業、日曜日は恋人と過ごすことが多く、副業の達成感と恋人にちゃんと大切にされる喜びがあった。月曜日になると「なんで恋人もいて、副業では褒められて、家には好きなものを置いているのになんでこんな仕事をしなくちゃいけないんだ?」としか思えなくなってきた。

社内も問題が多かった。人に問題があった。特にオッサン上司たちは全員更年期障害なんじゃないか?と思うことがあった。

そうこうしているうちに続けていた副業の1つがいい感じに伸びた。この副業をメインにすれば生活できるんじゃないかと思い計算したところ、案外行けそうな気がしたので、思い切って薄給の本業を辞めることにした。ひとまず直属の上司に「やめます」と云ったところ、辞める手続きをとることになったが、翌日、有給で休んでいた私にかつて私の薄給を自己責任と云った上司が止めにかかってきた。

人の有給中に仕事持ち込んできているんだろ?と思ったし、薄給の私にそこまでするというのは「これが世にいう『ウケる』ってやつか。絶対にやめてやる!」と思った。

上司は話し合いがしたかったようだけれども私が「自己責任って云ったじゃないですか」って云ったらキレられたので話し合いはなくなった。やっぱり辞めて正解である。

ちなみにその後はスムーズに辞められた。

有給消化でほぼ1か月休みつつ副業から本業へ昇格させた仕事でゆるく働いていたら、手取りの給与が前の薄給の仕事の手取りを超えた…本当にあのしんどい薄給は何だったのだろうと思えども、結論は耐えるほどには損をするというぐらいか。

あと、副業は大事。

 

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すごく殺伐とした内容だったんで、内容とあまり関係ない写真

副業があったので、りーぬを身請けできたというのはあります。

引っ越しの後。

旧居の退去費用のお知らせがやってきました。

返金される家賃(月の前半で退去だったため)でまかなえて、更におつりがくるとのこと。思ったよりもかからず安心。

ぼられるんじゃないと思って、地域の不動産団体の無料相談のページや国土交通省の原状復帰に関するトラブルとガイドラインといったものを調べて怯えて待っていたので、これで本当に一安心、無事引っ越しが終わりました。

 

 

好きなものを集めてそれでいてくどくない『絵小説』

雪で休みだったので、ほとんど外に出ず、家で料理をしたり本を読んだりしました。

絵小説

絵小説

 

 短編集。話の舞台は戦前の日本が中心。美女とマネキンが重なる「赤い蝋燭と…」と妾の子である少年と正妻の子である少女による異母兄弟の「塔」、そして人形と宇野亞喜良について記述が出てくる「あれ」が好き。

挿絵が宇野亞喜良…というよりも皆川博子が選んだ詩から宇野亞喜良が絵を描き、さらにそこから皆川博子が小説を書くという云うながれだったそうです。

そして、「あれ」という短編の中で宇野亞喜良について触れていると同時に、更にベルメール、球体関節といった単語が出てきていて、意外そうで意外では無いところで馴染みのものに会うという不思議な感じがありました。

皆川博子の本には吉田良や中川多理といった人形作家の人形の写真が使われているのですが、その一方で吉田良の人形写真集に皆川博子が文章を寄せているので人形に好意的な様子がうかがえます。

「赤い蝋燭と…」はマネキンですが、「塔」でも人形というワードが出てくるので、好きなものをサラッと組み込まれたようでよい感じです。

人形って強い存在で、ワードとして強すぎてしまったり、ホラー小説で怖がらせるための道具で出てくるので、好意的かつ上手く使えている話が好きです。

私は哀しくなどない、せいせいしたのだ。

仕事ばかりだとアウトプットもインプットもなくてTwitterもほとんど呟いていない。

逆にこれは大丈夫なんだろうか?

何も思いつかないというのは、危機感がある。

10代、20代の時はあふれ出る何かを文章を書くことで抑えていた気がするのだけど、30代になってからそれがない。

憑き物が落ちたと云えばそれまでかもしれない。

「あなたは足りないのではなく過剰なの」と友人に云われたことがある。

過剰な負の何かが落ちたのだと思えども、長く文章を書けなくなったのは少し寂しい。

 

シャーロット・ランプリングが『愛の嵐』の中で歌っていた歌に「幸せ過ぎたら哀しかった過去が恋しくなる」という内容の歌詞があったけれども、昔に戻りたいかというと、二度と戻りたくないですね。

汗して銭を得る

ひたすらに仕事ばかりしている。

以前は仕事をする前日の寝る前から「家に帰りたい」と思い、仕事中は「これは復讐なのだ…」と云い聞かせていたけれども、今のところその様子はないので健康なのだと思いますが…逆に不健康な仕事しかしてこなかったのだな…と思いました。